ギヨーム・クリトン(4)

文字数 993文字

ギヨーム・クリトンについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ルイ6世はギヨーム側について、1127年に多大な努力をした。1月、彼はセーヌ川下流からノルマンディーを攻撃する拠点としてフランス領ヴェクサンにある王領を授けた。そして王妃アデル・ド・サヴォワの異父妹であるジョヴァンナ・デル・モンフェラートとギヨームを結婚させた。
ルイ6世はギヨームのためにいろいろ尽くしてくれていますね。
1127年3月、フランドル伯シャルルが暗殺されると、ルイ6世はギヨームの運命をさらに良い方向へ向ける機会を与えた。彼は軍隊の先頭に立ってフランドルに入り、3月30日に新しい伯爵としてギヨームを受け入れるよう当地の男爵たちを味方にした(ギヨームはフランドル伯ボードゥアン5世のひ孫にあたる)
フランドル伯という称号はこの時に得たわけですね。
当初、5月末までに伯領の大部分を確保したギヨームは善処した。しかし、イングランドからの資金、ティエリー・ダルザスという競争相手の出現が、ギヨームの立場の悪化につながった。1128年2月、サントメールとヘント、3月にはブルッヘが、ギヨームに反旗を翻した。1128年5月、リールがティエリーを迎え入れ、ギヨームはフランドルの南の国境地帯をわずかに統制するにすぎなかった。しかしギヨームはブルッヘに戻り、6月21日のアクスポールの戦いでノルマンとフランス騎士の同盟軍とともにティエリーを破った。
ギヨームはよく頑張っています。
この時点でギヨーム側にブラバント公ジェフロワが加わり、7月12日にアールストを包囲した。しかし、包囲戦の過程でギヨームは歩兵との乱闘で腕を負傷した。傷が壊疽となって、1128年7月28日、忠実な義兄エリアス・ド・サン・サーンスに看取られ、ギヨームは死んだ。ギヨームの遺体はサントメールのサン・ベルタン修道院に運ばれて埋葬された。ギヨームに子供はなく、ウェールズで幽閉の身であった父ロベールはそれから6年後に死んだ。
不運で痛ましい生涯である。
ハインリヒ7世やギヨーム・クリトンのような人物は、歴史に詳しい人でも知っている人は少ないと思います。でもよく知られた歴史の陰には不運で痛ましい生涯を送った人もたくさんいる、僕はそのような人物について丁寧に調べて本を書き、後の時代に伝えていきたいです。
次回からルイ6世(肥満王)について調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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