ナバラの王位継承(1)
文字数 1,984文字
前回フェルナンド2世がナバラ女王レオノールの孫であるジェルメーヌ・ド・フォワと結婚したために王位を請求してナバラに侵攻したことを書きましたが、ここでもう1度ナバラの王位継承がどうなっていたかまとめます。作品集には下の画像から入ってください。
アラゴン王マルティン1世は私の弟、シチリア王マルティーノ1世は私の甥です。1402年に結婚した時、マルティーノ1世は28歳、ブランカ1世は15歳でこの時はまだ女王になる前です。甥のマルティーノ1世はシチリア女王マリアと結婚していたのでシチリア王になっていたわけです。
2人の間の子が無事に成長すればアラゴン、シチリア、ナバラの3つの国を継ぐはずでした。でも子供は夭折し、マルティーノ1世も後継者を残さずに亡くなりました。弟が子のシチリア王位を継いでマルティーノ2世となりましたが、我が子が自分より先に亡くなってうれしいわけない、マルティンは深い悲しみの中で、翌年1410年に亡くなり、アラゴンの王は『カスペの妥協』で選出されることになります。
2人は1男三女をもうけた。カルロス(1421ー1461)、ファナ(1423ー1425)、ブランカ(1424ー1464)レオノール(1426ー1479)で、1441年にブランカが死去した後、夫が単独のナバラ王となった。だが、ブランカが遺言で王位を長男カルロスに譲ると表明したにもかかわらず、フアンが王位を譲らなかったため、父子は対立し内戦が勃発した。
同じフアンという名前ですが、私はこのフアンがしたことは許せません。どうして遺言通りに王位を長男に譲らずに、我が子と対立して内戦にまでしてしまったのですか!私の子は幼い時に亡くなり、マルティンは立派に成長した我が子を失う悲しみをそれぞれ体験しています。王位に執着して我が子と対立するなど信じられません。
長男カルロスは1444年に父がファナ・エンリケスと再婚したこともあって父との関係が悪化、これに父と対立するナバラ貴族が味方したため、カルロスは父に対し挙兵したが敗れて投獄、脱走して伯父のアラゴン王兼ナポリ王アルフォンソ5世の下へ逃れた。
1458年に伯父が亡くなり父がアラゴン王も継ぐとシチリアへ移住、1460年に父から和睦の誘いがあり応じたが、カルロスがカスティーリャに内通していたことが発覚、和睦が取り消されたカルロスは再び投獄された。父に反発していたカタルーニャが抗議したため、1461年に釈放されバルセロナで市民に歓迎されたが、同年に王位の継承を果たせずに死去した。肺結核が原因だったが、継母に毒殺されたとの噂も流れていた。