ボンヌ・ダルトワ

文字数 991文字

ロベール3世・ダルトワの子孫を辿ったところ、シャルル・ダルトワが子を残さずに亡くなり、妹ボンヌの子ジャンがウー伯を継いだと書いてありました。ボンヌ・ダルトワについて紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
ボンヌ・ダルトワ(1396年頃ー1425年)は、中世フランスの貴族女性。ウー伯フィリップ・ダルトワとベリー公ジャンの娘でオーヴェルニュ公領の女子相続人であるマリーの間の長女。
1413年6月20日にボーモン=アン=アルトワ(現エナン・ボーモン)においてヌヴェール伯およびルテル伯フィリップと最初の結婚をした。
最初に結婚したフィリップはブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)の子でブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)の弟になります。
ブルゴーニュ公と関係が深いのですね。
夫妻は間に2人の息子をもうけたが、夫は1415年のアジャンクールの戦いで戦死した。
アジャンクールの戦いでフランス側は多くの戦死者、捕虜が出ました。フィリップの次兄アントワーヌも戦死しています。ブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)はこの戦いでアルマニャック派の勢力が衰えてブルゴーニュ派が国政を握ることになります。
ボンヌは結婚して2年で夫が戦死し、未亡人になってしまうわけですね。
2人の間の子は

・シャルル(1414年ー1464年)ヌヴェール伯、ルテル伯

・ジャン(1415年ー1491年)エタンプ伯、ヌヴェール伯、ルテル伯、ウー伯

1424年11月30日にムーラン・アンジルベールにおいて、亡き夫の甥にあたるブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボン(善良公)と再婚した。ブルゴーニュ公は先妻のフランス王女ミシェルと死別しており、再婚同士の夫婦だった。
ミシェル王女は母イザボーの命令で侍女に毒殺されたという噂もあります。ブルゴーニュ公フィリップがボンヌと再婚したのも、叔父の領土を相続する2人の子供をブルゴーニュ家に取り込むのが目的だと思います。
しかし再婚から10か月後にボンヌは死去し、ブルゴーニュ公はポルトガル王女イザベルを3番目の妻に迎えた。ボンヌの遺骸はシャンモル修道院に埋葬された。
ボンヌが亡くなったのは29歳ぐらい、結婚10か月後に突然亡くなるというのはなんか怪しいです。ブルゴーニュ公フィリップ3世は善良公というあだ名がついていますが、裏ではいろいろやっていると思います。
次回はボンヌの息子シャルルを追います。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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