スコットランド王ジェームズ3世

文字数 995文字

スコットランド王ジェームズ2世の子、ジェームズ3世について紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
ジェームズ3世(1451年ー1488年)はスコットランド王(在位1460年ー1488年)。ジェームズ2世とゲルデルン公女メアリーの子。概して公正さに欠き、イングランドとの協調政策や、家族との破滅的な関係などにより国民の支持を得られず、無力な統治者であった。
なんかもう期待できない人物ですね。私も不真面目王というあだ名がついていて人のこと言えませんが、かなり酷いようです。
1460年、父の死により幼年で即位し、母メアリーとセント・アンドルーズ司教ジェームズ・ケネディが後見人となり、摂政議会に諮って政治が行われた。
幼い時に王になり、他の者が摂政になって力を持ったということが繰り返し行われています。
1469年8月10日、デンマーク王クリスチャン1世(ノルウェー、スウェーデンの王も兼ねる)の王女マーガレットと結婚した。当時の北欧3国はカルマル同盟によって大国となっており、対イングランド関係においても有利な婚姻であった。
この時期は北欧3国も大国になっていたのですね。
スコットランド側は王女の持参金に現金を要求したが、クリスチャン1世は手元不如意を理由に、後で代金を支払う代わりとして取りあえず、スコットランド北方のオークニー諸島とシェトランド諸島を持参金とした。しかし現金は結局支払われず、以来この2つの諸島はスコットランド領となっている。
持参金を現金でというのは、スコットランドもまたお金に困っていたのでしょうか?
1488年、不満を抱いた貴族やジェームズとの戦い(ソーキバーンの戦い)で敗死した。
私の息子は皆幼い時に亡くなって娘2人が成長しただけですが、息子と戦って戦死したというのも悲惨です。スコットランドではこのような悲劇が続いていますね。
政治面では無力であったが、文化面には深い関心を示し、その治世の間にはスコットランドでは芸術面で発展が見られた。
なんだか自分のことを言われているようです。
王妃マーガレットとの間に3男をもうけた。

・ジェームズ4世(1473年ー1513年)スコットランド王

・ジェームズ(1476年ー1503年)ロス公、セント・アンドルーズ大司教、大法官

・ジョン(1479年ー1503年)マー伯

次回、ジェームズ3世が戦死したソーキバーンの戦いについて調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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