オンフロワ4世・ド・トロン(1)
文字数 833文字
エルサレム女王イザベル1世の最初の夫となったオンフロワ4世・ド・トロンについてです。作品集は下の画像から入って下さい。
オンフロワ4世・ド・トロン(1166年ー1198年)は、エルサレム王国の有力貴族。エルサレム王女イザベルの夫であったが、王位につくことを拒み、後に婚姻を解消させられた。
オンフロワ4世・ド・トロンについては日本ではほとんど知られていませんが、生涯についてかなり長い記述があったのに驚きました。
1179年に祖父オンフロワ2世からトロン卿領を継承した。また母エティエネット・デ・ミリーを通じてOultrejourdan卿領の継承権も有していた。1180年、彼はエルサレム王ボードゥアン4世の異母妹イザベルと結婚するため、トロン卿領を手放した。というのもボードゥアン4世はハンセン病を患っていて病弱であり、オンフロワ4世が大所領を2つ所持して強大化しすぎるのを嫌がったからである。
1180年の時、オンフロワ4世は14歳でイザベルは8歳でした。
1183年秋、オンフロワ4世はケラク城でイザベルとの結婚式を挙げた。そこをアイユーブ朝のスルターンであるサラーフッディーンに襲撃され、城を包囲されたが、ボードゥアン4世とトリポリ伯レーモン3世に救出された。
結婚式の時にケラクの城が襲撃されたのは、オンフロワ4世の母エティエネット・ド・ミリーがルノー・ド・シャティヨンと再婚して義理の息子になっていたからです。ルノーが隊商からの略奪を繰り返したので、その報復としてケラク城が襲撃されました。救出に向かったボードゥアン4世はこの時にはもう病状が進んで目が見えず体を動かすことも困難な状態でした。それでも王として軍隊を指揮してケラク城を救ったのです。ボードゥアン4世のような王もいればルノー・ド・シャティヨンのような人間もいる、ボードゥアン4世が生きた時代は僕が想像していたよりもずっと大変な時代だったということがよくわかりました。
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