ハンガリー女王マーリア
文字数 1,612文字
マーリア(1371ー1395)はハンガリー女王(1382年ー1385年、1386年ー1395年)ハンガリーとポーランドの王ラヨシュ1世の次女で、母はその2番目の妃エルジェーベト(エリザベタ・コトロマニッチ)ポーランド女王ヤドヴィガの姉である。
ガライ、エルジェーベト、マーリアらは叛乱の説得のためボスニア地方に向かったが、その途上の7月25日、ディアコヴァルで奇襲を受け、ガライは殺害、マーリアとエルジェーベトはホルヴァート一派に捕らわれ、ノヴィグラード(現クロアチア領)の要塞に幽閉された。エルジェーベトは1387年1月16日に幽閉先で殺害され、マーリアにも身の危険が及ぶが、最終的には6月4日に釈放された。
貴族の叛乱は怖いですね。僕はラミロ2世の『ウエスカの鐘』の話を聞いた時、正直言ってそこまで残酷なことしなくてもと思っていました。でも実際はそこまで残酷にならなければ王は殺され、王家の血も途絶えてしまうというギリギリの状況だったのでしょう。
フアン1世がいた頃のアラゴンはかなり平和だったようだ。余は別にこういう話を聞いても驚かない。むしろその後のジギスムントの行動から考えれば、それもありうると思える。異母弟ジギスムントは余とは比べ物にならないほどしたたかだった。
釈放後は、夫ジギスムントがハンガリー王に即位して実権を握り、マーリアは象徴的な地位にとどまった。1395年に死去し、ジギスムントとの間に子供がなかったため、ハンガリーにおけるアンジュー家の血筋は断絶した。