スコットランド王ロバート1世(7)
文字数 980文字
バーボアとフォードウンによれば、1305年夏の後半にジョン・カミンは、ロバートが決起する際には彼が王位につくのを有利にするために自身のスコットランド王位継承権を放棄するが、その見返りとしてロバートのスコットランドの領地を拝領するという秘密の同意に誓い、署名して押印をしたという。
ジョン・カミンとの間で取り決められた同意の細部が本当か否か定かではないが、エドワード1世はいまだイングランドの宮廷に留まっていたロバートの逮捕に踏み切った。ロバートにとっては運が良いことに、親友かつエドワード1世の婿であるラルフ・ドゥ・モンザマーがエドワード1世の意図を見抜いて、12ペニーと一組の拍車を送り届けた。ここからヒントを得たロバートは、従者とともに夜中のうちにイングランドの宮廷を脱出した。ロバートと従者はスコットランドへの道を急ぎ、ダンフリーズでジョン・カミンとの運命の会見をするのである。
バーボアによれば、ジョン・カミンはロバートとの合意内容をエドワード1世に対して漏らしていて、ロバートはジョン・カミンとの会見を1306年2月10日にダンフリーズのグレイフリアーズの教会で行うことを取り決めており、そこでジョン・カミンの裏切りを非難して、両人はやがて殴り合いにまで発展したという。ダンフリーズの修道院に付属する教会の高い祭壇の前で、ロバートはジョン・カミンを殺害した。『スコットランド年代記』によればジョン・カミンはロバートの攻撃から生き延びていて治療を受けており、ロバートの支持者であったロジャー・ドゥ・カークパトリックとジョン・リンゼイは教会に戻ってロバートのやり残したことを完遂した。しかしバーボアはそのような話は述べていない。にもかかわらず、ロバートにとってグレイフリアーズにて死の影は投げかけられており、自身にはもはや国王になるかあるいは逃亡者になるかの選択肢しか残されておらず、自らのスコットランド王位継承権を主張して同国の独立のための武力闘争を開始することにした。双方の支持者が剣を抜き、修道院の墓地は戦場と化した。