ジェームズ1世(イングランド王)(14)

文字数 918文字

ジェームズ1世(イングランド王)についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ジェームズ1世の外交政策で、インド周辺のコーヒー貿易は、1606年末の東インド会社第三船団の際には計画されているが、貿易拠点作りのための商館建設交渉は長引き、1619年に東インド会社の巧みな外交によってモカ港の入港の許可に成功している。これによりコーヒーの大量買い付けが可能になっている。
ジェームズ1世は色々なことと関係があるようです。
スペインとの和睦に関係して、海軍の弱体化を招いたことは威信の失墜に繋がり、平和主義に則りスペインを苦しめた私鯨船の禁止と、財政難のため海軍費用を削減して艦隊整備を怠り、水兵のリストラなど軍縮を行う一方、王立艦隊をイングランド周辺海域の警戒に当たらせた。しかし衰微した海軍では任務が失敗することが多く、イギリス海峡を渡る外国船は旗を降ろさず、外国船が海域に侵入し船を襲うこともあった。北アフリカからバルバリア海賊も侵入、船の略奪・誘拐が続いても海軍は手も足も出ず、1620年から1621年にかけて敢行されたアルジェ遠征も失敗、ジェームズ1世の理想主義的平和政策が会場で失敗したことが明らかになった。歴史家ジェージ・マコーリー・トレヴェリアンはジェームズ1世が海軍を無視したことを厳しく批判している。
理想主義や平和主義でうまくいかないこともあるのですね。
1613年、娘エリザベスをプファルツ選帝侯フリードリヒ5世と政略結婚させた。イングランドとオランダ共和国・プファルツを結ぶプロテスタントの連携を目指したもので、「テムズ川とライン川の合流」とまで言われる。平和主義者のジェームズ1世はカトリックとプロテスタントの対立を和解させる調停者の立場を目指し、エリザベスの結婚と合わせて次男チャールズとスペイン王女との結婚も画策していた。また財政難で軍を集められないという事情もあり(議会の同意が簡単に得られないため戦費を調達し辛い)、1616年頃からスペインとの調停を行い、後に三十年戦争でフリードリヒ5世が危機に陥っても援助しなかった。
私の生きた時代に比べ、状況がかなり複雑になっているのでジェームズ1世は大変そうです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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