ジェームズ1世(イングランド王)(21)
文字数 1,164文字
「ブリテンのソロモン王」の異名をとったが、それはソロモン王のように賢いというほめ言葉であると同時に、父親がダーンリーではなく母の秘書のデイヴィッド・リッチオだろう(デイヴィッド=ソロモンの父ダビデのこと)という悪口でもあった。この発言者はフランス王アンリ4世と言われている。また、「最も賢明で愚かな王」という発言もアンリ4世、あるいは彼の側近であるシュリー公マクシミリアン・ド・ベテュヌの物とされる。
男色の愛人をしばしば重用、スコットランド王時代ではレノックス公、イングランド王時代ではブリストル伯ジョン・ディグビー、サマセット伯、バッキンガム公が愛人に挙げられる。彼等の存在は深刻なトラブルを招き、レノックス公の場合はリヴァンの襲撃、バッキンガム公は宮廷や議会の派閥抗争、サマセット伯に至っては殺人事件を引き起こしている(ブリストル伯のみ特に問題を起こしてはいない)
レノックス公がスコットランドに帰国した時、ジェームズ6世はまだ13歳でした。レノックス公(カトリック)はモートン伯(プロテスタント)を排除するという目的を持っていたので、そのために孤独な少年王のジェームズ6世に近付き誘惑したとしたら、随分酷い話です。僕は今15歳ですが、それよりも若い13歳の時にフランス帰りで洗練されたマナーを身に付けた魅力的な男性が近くに来て、しかも父の死の真相について話をされたら聞かずにはいられない、そうやってうまく若い王を操りモートン伯にダーンリー卿殺害の罪をなすりつけ処刑しています。男色もまた王を操る手段になっていて、若い時にそれを知ってしまい、一生そのことで振り回されているジェームズ1世が気の毒です。