オリヴィエ・ド・クリッソン(4)
文字数 953文字
1395年にジャン4世とクリッソンは和解、1399年にジャン4世が死亡すると、4人の息子と3人の娘の後見人にかつての仇敵であるクリッソンが指名されており、クリッソンはモンフォール家の子女達に対して忠実に任務を果たした。これに対し、クリッソンの娘マルグリットはジョスラン城を囲み後見を反故するように求めた。ジャン4世の遺児たちを暗殺するように求めたとの噂もたったが、クリッソンは頑として拒否、娘を殴ろうとしたため、マルグリットは逃げ出した際足を骨折、一生歩行困難となった。
1400年には他に継承権を主張しそうな人物を抑えて、ジャン4世の同名の嫡男ジャンを新たなブルターニュ公ジャン5世として即位させると、シャルル6世の三女ジャンヌと結婚させ、次男のアルテュールをかっての敵だった豪胆公に後見させた。またブルターニュ施設官とブルターニュ議会に認められた。1402年に彼らの母親ジャンヌ・ド・ナヴァールがイングランド王ヘンリー4世と再婚することになったが、4人の息子がイングランドに連れ去られることがないように手を打っている。
クリッソンは2度結婚しており、最初の妻でギー10世・ド・ラヴァルの娘カトリーヌ・ド・ラヴァルとの間に2女を儲けた。
・ベアトリス(1366年頃ー1448年)ロアン子爵アラン8世・ド・ロアンと結婚
・マルグリット(1372年頃ー1441年)ジャン1世・ド・シャティヨンと結婚
2番目の妻でアラン7世・ド・ロアンの娘マルグリット・ド・ロアンとの間に子はいない。