アルフォンソ11世(2)

文字数 1,407文字

アルフォンソ11世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
フアン・マヌエルはアラゴンと組んでカスティーリャと戦おうと企てるが、1328年、アルフォンソ11世は従妹にあたるポルトガル王アルフォンソ4世の娘マリアと結婚、翌1329年に姉レオノールとアラゴン王アルフォンソ4世の結婚でアラゴンと和睦、後ろ盾を失ったフアン・マヌエルとも和解した。
アルフォンソという名前の王が3人も出てきてややっこしい。
アラゴン王アルフォンソ4世は私の祖父です。レオノールは後妻なので、父のペドロ4世や私とは血は繋がっていません。
そして1331年に戴冠式を挙行した時、王位を請求していたラ・セルダ家も主張を撤回してアルフォンソ11世支持を表明した。こうしてアルフォンソ11世は後見人を排除して王権強化に成功した。
王になった時は後見人の争いがあって大変だったけど、20歳になる前に政略結婚でポルトガルとアラゴンを味方にしてうまく切り抜けたのですね。
国内を安定させたアルフォンソ11世はレコンキスタに熱心に取り組み、何度もアンダルシアのイスラム教軍を攻めている。アラゴンと和睦した頃から遠征を始めており、1331年にナスル朝を臣従させた。しかしアフリカのマリーン朝はたびたびナスル朝と手を組んでスペインを脅かすため、アルフォンソ11世は諸国から援助してもらいマリーン朝を打倒することを計画した。
マリーン朝という名前は初めて聞きました。
1340年8月、マリーン朝スルタン・アブー・アルハサン・アリーがアルヘシラスに上陸、ナスル朝のユースフ1世と共にタリファを包囲した。直ちにアルフォンソ11世は舅のアルフォンソ4世が率いるポルトガル軍を含めたカスティーリャ軍を連れてタリファ救援に向かい、10月30日にサラードの戦いでイスラム教軍と交戦した。敵はキリスト教軍の3倍以上あったにも関わらず戦いはキリスト教軍の勝利となり、以後マリーン朝の介入は無くなり衰退の一途を辿った。
アルフォンソ11世は余と同じようにレコンキスタで活躍したわけか。
サラードの戦いの勝利に勢いづいたアルフォンソ11世はナスル朝の国境へ侵攻、1341年にアルカラ・ラ・レアル、プリエゴなどを落とし、1342年8月からアルヘシラスを包囲した。マリーン朝の救援を撃退し包囲を続け、1344年3月にアルヘシラスを降伏させた。
アルフォンソ11世はペドロ2世とよく似ているような気がします。
レコンキスタの成功で高まる威信を背景に王国の改革と更なる王権強化に取り組み、曾祖父アルフォンソ10世が編纂した『七部法典』の公布(1348年)、都市の上級役職を占める下級貴族・有力商人と結びつき、彼等の世襲と特権保証を認め都市を間接的に支配するなど、アルフォンソ10世が志していたカスティーリャの法的統合、王権強化を主軸とする改革を実現させた。
ペドロ2世はレコンキスタで活躍しただけですが、アルフォンソ11世は国内の改革、政治もきっちりやっています。
別に余も国内の政治を疎かにしていたわけではない。ただ思いがけず戦死して、そこまで手が回らなかっただけである。
1350年、ジブラルタル攻略中に黒死病で陣没した。嫡男のペドロ1世が後を継いだ。
アルフォンソ11世はレコンキスタで活躍し、国内の改革にも力を入れました。でも王妃よりも愛妾を寵愛したことで、カスティーリャは内乱となってしまいます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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