マーガレット・ダグラス(5)
文字数 878文字
1574年、マーガレットは次男チャールズとシュルーズベリー伯ジョージ・タルボットの継娘エリザベス・キャベンディッシュとの結婚により、再びエリザベス1世の怒りを招いた。彼女は伯爵夫人のハードウィックのベスと異なり再びロンドン塔に送られ、1576年の息子チャールズの死後赦免された。
次男チャールズの死後、マーガレットは孫娘アラベラの世話を助けた。しかし、彼女はそれほど息子より長生きせず、1578年3月に死去した。死の数日前、レスター伯ロバート・ダドリーとともに食事をした。これが彼女が毒殺されたという噂につながった。これを実証する歴史的証拠はない。
マーガレットは借金を残して亡くなったが、エリザベス1世の費用負担で、ウェストミンスター寺院で壮大な葬儀が営まれた。彼女は寺院のヘンリー7世礼拝堂の南側通路の息子チャールズと同じ墓に埋葬された。彼女の孫息子が見事な記念碑を建立したと言われているが、実際は彼女の遺言執行者でかつての使用人トマス・ファウラーによって1578年10月に依頼されたものである。マーガレットのアラバスター製の横臥した彫刻は、フレンチ・キャップと青と金のドレスの上にひだ襟をつけた赤い毛皮のマントを着ている。墓の両側面には、彼女の4人の息子と4人の娘の悲しむ姿がある。