ジェームズ1世(イングランド王)(4)

文字数 847文字

ジェームズ1世(イングランド王)についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
1579年、ジェームズ6世が成人の統治者となったことを祝う式典が行われた。この時以降、主な居所をそれまでのスターリング城からエディンバラ城に移すようになった。
同年、13歳のジェームズ6世はフランス帰りのオウビーニュイ卿エズメ・ステュアート(父方の従叔父に当たり、後にレノックス公爵に魅了され、彼を寵愛した(ジェームズ6世は男色家=ホモセクシュアルで知られている)
エズメ・ステュアートはフランスでカトリックの中心となっていたギーズ公アンリ1世の支持を受け、フランスで聖バルテルミの虐殺の後スコットランドに帰国し、最初からプロテスタントのモートン伯を排除する意図を持っていました。
ジェームズ6世のような育ち方をすれば、特定の人間に強い愛着を持ってしまうのも無理ないと思いました。
邪魔になったモートン伯は、レノックス公の謀略でダーンリー卿殺害に関与したとして1581年1月に処刑されたが、ジェームズ6世の寵臣政治はスコットランド貴族達の反発を招き、翌1582年8月に初代ガウリ伯ウィリアム・リヴァンの計略によりジェームズ6世は誘拐、リヴァン城に軟禁された(リヴァンの襲撃)
国王を誘拐して軟禁するなんてとんでもないことです。
レノックス公も逮捕され12月にフランスへ逃亡した。ガウリ伯はプロテスタント貴族で、ジェームズ6世に対するフランスやカトリックの影響、母のイングランドからの帰還を妨げようとしたらしい。
カトリックとプロテスタントの争いで様々な事件が起きていますね。
翌1583年6月、別の側近のアラン伯爵ジェイムズ・ステュアートやパトリック・グレイらの支援でリヴァン城からの脱走に成功したジェームズ6世は、1584年にガウリ伯を処刑し、直接統治を行うことにした(アラン伯も1585年に政争に敗れジョン・メイトランドやグレイがジェームズ6世の側近に収まる)
ジェームズ6世の生涯も思っていた以上に複雑で驚いています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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