ジェームズ1世(イングランド王)(4)
文字数 847文字
同年、13歳のジェームズ6世はフランス帰りのオウビーニュイ卿エズメ・ステュアート(父方の従叔父に当たり、後にレノックス公爵に魅了され、彼を寵愛した(ジェームズ6世は男色家=ホモセクシュアルで知られている)
エズメ・ステュアートはフランスでカトリックの中心となっていたギーズ公アンリ1世の支持を受け、フランスで聖バルテルミの虐殺の後スコットランドに帰国し、最初からプロテスタントのモートン伯を排除する意図を持っていました。
邪魔になったモートン伯は、レノックス公の謀略でダーンリー卿殺害に関与したとして1581年1月に処刑されたが、ジェームズ6世の寵臣政治はスコットランド貴族達の反発を招き、翌1582年8月に初代ガウリ伯ウィリアム・リヴァンの計略によりジェームズ6世は誘拐、リヴァン城に軟禁された(リヴァンの襲撃)
翌1583年6月、別の側近のアラン伯爵ジェイムズ・ステュアートやパトリック・グレイらの支援でリヴァン城からの脱走に成功したジェームズ6世は、1584年にガウリ伯を処刑し、直接統治を行うことにした(アラン伯も1585年に政争に敗れジョン・メイトランドやグレイがジェームズ6世の側近に収まる)