ジャン・カルヴァン(10)

文字数 1,036文字

ジャン・カルヴァンについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
カルヴァンは改革派教会、改革長老教会を方向づけ、多大な影響を残す巨星ではあるが、改革派的教義を掲げ、長老主義的教会政治を重んじる教会はカルヴァンに始まるものでもカルヴァン個人の信仰理解に立つものでもない。保守的カルヴァン主義者として名高いオランダの改革派教義学者ヘルマン・バーフィンクでさえ、「改革派教義学はツヴィングリと共に始まった」と書いている。
結局ツヴィングリの影響もかなり大きいということですか。
とくに社会学や歴史学や政治学等の文脈で用いられる場合、カルヴァン主義、カルヴァン主義者という用語は予定論者とほとんど同義に用いられることがある。その代表的な例はマックス・ヴェーバの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やエルンスト・トレルチの『キリスト教会ならびに諸集団の社会教説』である。そして、その場合の「カルヴァン主義」とは、しばしば、カルヴァン本人の信仰理解とは必ずしも一致しているわけではないという意味で語られる。
かなり複雑ですね。
たとえば、トレルチにとっての「カルヴァン主義者」の最大のモデルは、主著『カルヴァン主義』の著者、アブラハム・カイパーである。カイパーの立場は「新カルヴァン主義」などと呼ばれ、カルヴァン自身の立場とは区別される。しかしカルヴァンとカルヴァン主義者を極度に対立的に扱うことに対して慎重であるべきとする有力な声(ポール・ヘルムら)もある。
カルヴァンの影響が強過ぎるから後の世代になっても論争が繰り返され複雑になっています。
「カルヴァン派」という呼び方は、宗教改革初期における各都市の教会改革指導者の分類を必要とする、歴史的話題においては用いられる。具体的には「改革派」として「ツヴィングリ派」と統合される以前には確かに「カルヴァン派」といえる勢力が存在し、「急進派」とも「ルター派」とも異なる思想や方針を持っていた。
最初スイスの1つの都市で始まった改革は、過激であればあるほどすぐに広まったように思います。
現在「カルヴァン主義」もしくは「カルヴァン派」という言葉を教団名に冠する例は知られていない。神学校の名称としては、北米キリスト改革派教会が経営するカルヴィン神学校がアメリカ合衆国ミシガン州グランドラピッズにあり、欧米のカルヴァンならびに改革派神学の研究の一大拠点になっている。
カルヴァンの名前を直接使っている教団は現在はないというのは意外でした。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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