エルサレム女王イザベル1世(1)
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イザベル1世(1172年ー1205年)はエルサレム女王(在位1190/92年ー1205年)エルサレム王アモーリー1世とその二度目の妻のビザンツ帝国皇女マリア・コムネナとの間の娘。異母兄姉にボードゥアン4世、シビーユがいる。
異母兄ボードゥアン4世はハンセン病であり、後継者ができないことがわかっていたため、1183年には異母姉シビーユの子ボードゥアン5世が王位継承者となっていた。イザベルは同年、前アンティオキア公ルノー・ド・シャティヨンの義理の息子にあたるオンフロワ4世・ド・トロンと結婚した。このときサラディンは結婚式を行っているカラク城を襲撃している。
1186年、ボードゥアン4世の死後王位についたボードゥアン5世が即位1年で死去し、異母姉シビーユとその夫ギー・ド・リュジニャンがエルサレム王位に就いた。しかし1190年秋にはシビーユおよびギーとの間の娘2人が相次いで死去し、異母妹のイザベルが王位継承者となった。
モンフェラート侯コンラート1世は、バリアン・ディブランと再婚していたイザベルの母マリア・コムネナの協力を得て、イザベルとオンフロワとの結婚の無効を認めさせ、1190年11月にイザベルと結婚しエルサレム王位継承を主張した(ただし正式には王位についていない)エルサレム王位を失ったギーは1192年にイングランド王リチャード1世によってキプロス王となっている。