スコットランド王ロバート3世(1)

文字数 1,294文字

スコットランド王ロバート3世について紹介します。作品集は下の画像から入って下さい。
ロバート3世(1337年ー1406年)はスコットランド王(在位1390年ー1406年)。 即位前の名前はジョン・ステュアート。ロバート2世の長男だったが、ロバート3世が生まれた時にはまだ正式に結婚していなかったため、少年時は庶子扱いだった。
長男でありながら庶子というのは複雑な立場ですね。ロバート2世がスコットランド王になったのが遅くて本人も王になるとは考えていなかったからそういう手続きはきちんとしていなかったのでしょうか。
ロバート3世はスコットランドの支配者としては名ばかりで、実質的には弟のオールバニ公ロバートが実権を握っていた。息子のジェームズの将来を案じてフランスへ逃れさせようとしたが、イングランド王ヘンリー4世に捕らえられ、それを聞いたロバート3世は嘆き、死期を早めた。
なんだか随分不幸なことばかりある人です。
ロバート3世は父ロバート2世と母エリザベス・ミュアの長男として生まれた。両親は1336年に結婚していたが、その手続きが教会法に基づいていないと批判されていたため、非摘出子として扱われた。1349年にようやく正式の結婚とされロバートは嫡出子と認められた。
キリスト教社会では嫡出子と非嫡出子は厳しく分けられ、非嫡出子は相続権などを認められていませんでした。アラゴン王ラミロ1世も庶子だったので、最初に分け与えられた領土(アラゴン)は他の兄弟に比べて狭い場所でした。
1368年、ロバート3世の大叔父で国王のデイヴィッド2世は、彼をキャリック伯に叙した。しかし1387年にロバート3世は馬に蹴られて重傷を負い、回復に数年かかった上に障害を負った。恐らくこの事故が原因で、政治の実権はロバート3世の実弟のファイフ伯ロバートが掌握していった。1389年、弟のロバートは王太子である兄を差し置いて「王国の守護者(guardian of the kingdom)」に就任した。
同じロバートという名前でも、1世、2世、3世とそれぞれ全く違う生涯のようです。
1390年5月に父ロバート2世が崩御すると、ロバート3世が王位を継承した。しかし元々庶子であったことが問題となり、実際にスクーンで戴冠式が行われたのは3ヶ月以上も経った1390年8月であった。
庶子であったことが大きな問題になってしまったのですね。
即位するにあたって、ロバート3世はそれまでの自分の洗礼名である「ジョン」を「ロバート」に変えた。これはもし自分が「ジョン2世」として即位すると、イメージの良くないジョン・ベイリャルを想起して、ロバート1世以降の王権が弱体化するのではないかと恐れたためである。この負のイメージを払拭するため、名前をロバートに変えてロバート3世として即位したのである。
ロバート3世はいろいろ苦労しているようです。
障害を負っているとはいえ、ロバート3世はおそらく何回かは議会に臨御したと考えられる。だが、その実権は弟のファイフ伯ロバートが握っており、新しい国王の存在は周囲にも「王位継承のルールだから名目上」と見られた。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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