ブルゴーニュ公フィリップ2世(1)
文字数 1,545文字
フィリップ2世(1342年ー1404年)は、ヴァロワ家の初代ブルゴーニュ公(在位1363年ー1404年)。ヴァロワ=ブルゴーニュ家の祖。「豪胆公」と呼ばれる。フランス王ジャン2世(善良王)とボンヌ(ボヘミア王ヨハンの王女)の四男。シャルル5世、アンジュー公ルイ1世、ベリー公ジャン1世の弟。
シャルル5世、アンジュー公ルイ1世、ベリー公ジャン1世、ブルゴーニュ公フィリップ2世の4人が兄弟というのもすごいですね。後のアルマニャック派とブルゴーニュ派の対立の時の主要メンバーはほとんどこの4人の子孫です。
さらに、1369年6月19日に兄シャルル5世がフランドルの反乱を抑えるため、イングランドの介入も排除してフランドル伯ルイ2世の娘マルグリット3世とフィリップを結婚させたため、フランドル、アルトワ、ブルゴーニュの各伯領を領有し、ヨーロッパで最も裕福な領土を有する大貴族となった。1390年にはシャロレー伯領を獲得し、この伯位はブルゴーニュ公の相続人に与えられるようになった。
その間も権力と勢力の拡大に努め、1382年に舅のフランドル伯がヘントなどフランドルの都市反乱で劣勢に立たされると、シャルル6世の支援を取り付け舅に加勢、11月27日のローゼベーケの戦いで反乱の指導者フィリップ・ヴァン・アルテベルデを討ち取り反乱を鎮圧、1384年に舅が亡くなり妻と共にフランドルを相続した。
また、北への領土拡大のため1385年4月12日に長男ジャン(後のジャン1世)と長女マルグリットをフランドル近郊のエノー伯、ホラント伯、ゼーラント伯であるヴィッテルスバッハ家のバイエルン公アルブレヒト1世の娘マルグリットと息子ヴィルヘルムを結婚させ(カンブレー二重結婚)、3伯領に足掛かりを作った。更に7月17日、シャルル6世とヴィッテルスバッハ家出身のイザボー・ド・バヴィエールを結婚させ王家にも食い込んでいった。