クレルヴォーのベルナルドゥス(3)

文字数 1,003文字

クレルヴォーのベルナルドゥスについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1124年に教皇ホノリウス2世が就任した頃には、ベルナルドゥスはフランス教会において押しも押されもせぬ存在となっており、教皇も助言を求めるほどになっていたのである。
先代のカリストゥス2世がブルゴーニュ伯ギヨーム1世の四男という名門の生まれだったのに比べ、ホノリウス2世は身分の低い家の出身だったため、教皇選では争いが起きたようです。
1129年、アルバーノのマテウス枢機卿の招きでトロワの司教会議に参加したベルナルドゥスは、そこでテンプル騎士団の認可が得られるように働きかけ、シャロンの司教会議ではヴェルダン司教アンリの問題を司教辞任という形で決着させることに成功し、教会政治における手腕でも高い評価を得た。
テンプル騎士団の認可にもベルナルドゥスが貢献していたのですね。テンプル騎士団の城はスペイン、アラゴンのモンソンにもあり、ペドロ2世の子ハイメ1世は子供のころそこで育てられました。
しかし教会において、ベルナルドゥスの評価が決定的になるのはむしろ、その後起こった教会分裂騒動の収拾においてであった。それは1130年に教皇ホノリウス2世が亡くなり、教皇選挙が紛糾したことに端を発している。後継にえらばれたインノケンティウス2世に対して対立教皇アナクレトゥス2世が立つという事態になり、ルイ6世(肥満王)が1130年にエタンに司教会議を招集、事態の打開を目指した。そこにおいてベルナルドゥスは、インノケンティウス2世の強力な擁護者となり、多くの論戦を戦った。
フランス王ルイ6世までもが介入しているということは、それだけ大変な争いになっていたのですね。
ローマにはすでにフランスやイギリス、スペインなど各国の支持を取り付けたアナクレトゥス2世が居座っており、インノケンティウス2世は各地の放浪を余儀なくされていたが、ベルナルドゥスはこれを逆手にとり、インノケンティウスこそ「世界に受け入れられた教皇である」と主張した。ベルナルドゥスは教皇からの使命を受け各地を旅行した。ミラノでは高官や聖職者たちがミラノの大司教に着任することを願ったが、ベルナルドゥスはクレルヴォー修道院に戻った。そこから神聖ローマ皇帝ロタール3世との議論のためにリエージュに向かった。
この時の教会分裂は各国の王や諸侯を巻き込んだ大変な争いになっていたようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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