マルト・ダルマニャック

文字数 1,387文字

フアン1世の周辺人物の調査、父のペドロ4世は前に詳しく書いていたので、最初の妻マルト・ダルマニャックについて話題にします。フアン1世の2人の妻についてはフアン1世よりも詳しい説明が書いてありました。作品集には下の画像から入ってください。
この画像は、ジローナ公爵夫人マルトの寝棺像、ポブレー修道院と書いてありました。
私、フアン1世は即位する前はジローナ公でした。
マルト・ダルマニャックはフランスのアルマニャック伯ジャン1世とその2番目の妻でブルボン公ルイ1世の姪にあたるベアトリス・ド・クレルモンの間の娘として生まれた。姉のジャンヌはベリー公ジャンの夫人となった。1370年にアランソン伯ピエール2世と婚約したが、破談となっている。
アラゴン王ペドロ4世はカスティーリャ王ペドロ1世との間で繰り広げていた二人のペドロ戦争を優位に進めるべく、フランスとの同盟を模索していた。ペドロ4世は長男のジローナ公フアンの妻にフランス王女ジャンヌを迎えようとするが、ジャンヌはバルセロナへ向かう途上で病死した。さらにフランス王シャルル5世は、カスティーリャの新王エンリケ2世の即位(1369年)を支援した関係でエンリケとは強固な同盟関係にあった。
王家の結婚が政略結婚であるのはわかっていますが、私はその中でも父上の駒として思いっきり使われていますね。
ペドロ4世は次に南フランスの有力諸侯であるアルマニャック伯ジャン1世に同盟を持ち掛けた。アルマニャック伯家は二人のペドロ戦争でカスティーリャ側の同盟者であり、彼が裏切ればカスティーリャには痛手であった。一方ジャン1世もフォワ伯家との対抗上、アラゴン王との同盟は好都合だった。
なんか凄い政略結婚ですね。戦争のさなか同盟を結ぼうとして結婚を急いでいるような・・・
まあ当人の私は反対できる立場ではないので素直に従っていました。
ジローナ公フアンとマルトとの婚姻契約は1373年3月27日に成立した。マルトに約束された寡婦財産は15万ポンドという莫大なものだった。2人の結婚式は1373年6月24日にバルセロナで行われた。
カスティーリャ王ペドロ1世が死んだのが1369年だから、2人の結婚はそれより後ですね。
マルトは物静かで穏やかな性質で、婚家や新しい人々にすぐになじんだ。さらに夫フアンの人柄をよく理解し、怒りっぽい夫をなだめる役目を果たした。
政略結婚ですがマルトはよい妻でした。私は彼女に甘え我がままばかり言っていました。あの頃が私の人生で一番幸せだったかもしれません。
1377年に義父のペドロ4世が下級貴族の娘シビラ・デ・フォルティアを4番目の妃に迎えたことは宮廷の醜聞となり、特に夫のフアンはシビラを激しく嫌ったが、マルトはシビラと友好的な関係を結んだ。
マルトはいい人ですね。
1378年、マルトはおそらく末娘の出産後に体調が悪化して死去した。2人の間には5人の子女がいたが、成長したのは娘1人だけである。
マルトはよい妻でした。もし私達の間にできた子が死なずに成長して跡継ぎとなってくれたら、そして彼女がもっと長生きしてくれたら、私の人生は違ったものになっていたでしょう。神は無慈悲にも私から次々と子を奪い、そして最愛の妻も奪ってしまいました。それでも私は王の子として人前で嘆き悲しむこともできないまま2年後に2番目の妻ビオランテと結婚しました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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