教皇ボニファティウス8世(6)

文字数 1,225文字

教皇ボニファティウス8世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
同時代のフィレンツェのディーノ・コンパーニによる年代記には「この法王は猛烈果断な気性と卓越せる才能を持ち、自我流に教会を導き、自説に同意しない者を退けた」と記されている。
ボニファティウスはまた、聖職者にある身としては珍しいほどの現実主義者であり、また「最後の審判」は存在しないと信じていた。敬虔な人から悩みを打ち明けられても、「イエス・キリストはわれらと同じただの人間である」と述べ、「自分の身さえ救うことのできなかった男が他人のために何をしてくれようか」と公言してはばからなかったともいわれている。
ちょっと待ってください。ボニファティウス8世は本当にこんなこと言ったのですか?僕はユダヤ人の両親から生まれキリスト教の洗礼を受けてはいないけど、それでもこんなこと思ってはいません。キリスト教徒の中で教皇は頂点に立ち、教皇と争ったために不幸になった人は大勢います。ペドロ2世はカタリ派に味方をしたとして破門され、死後埋葬場所も別の所にされました。ハインリヒ7世は教皇にそそのかされて反乱を起こし、捕えられて王位を剥奪され、目を潰されて幽閉されています。教皇という立場になれば多くの人の運命を左右するのです。それなのにこんな考えの人間が教皇に選ばれるほどにキリスト教社会は腐敗し堕落していたなんて、許せないです。ペドロ2世やハインリヒ7世、そして理不尽な理由で異端者にされて殺された人の方がよっぽど純粋な信仰心を持っていました。それでも神は教皇に選ばれたという理由でこういう人を救うのでしょうか?
ボニファティウス8世は、何ごとによらず華美を好み、美食家で、宝石でかざったきらびやかな衣服を身にまとい、金や銀などの装飾品を常に着用していた。賭博も好み、教皇庁はまるでカジノのようであったという。性的には精力絶倫で、あやしげな男女が毎晩のように教皇の寝所に出入りしたともいわれている。
酷いですね。イタリア出身の教皇はこんなにも堕落するのですか?私は対立教皇になったルナ家のベネディクトゥス13世をよく知っていますが、とても真面目で頑固な人でした。真面目で信仰心が篤いアラゴン人が教皇になればこんなことにはならないと思います。
ボルジア家はバレンシア出身ですが・・・
政治的に対立したフィレンツェのダンテ・アリギエールからは、主著『神曲』のなかで「地獄に墜ちた教皇」として魔王のルシフェルよりも不吉な影をもって描かれた。
ボニファティウス8世の思想や行為を考えれば、ダンテの描写はまだまだ甘いです。
その一方でボニファティウス8世は学問の造詣深く、ヴァチカンの公文書保管庫を改造して蔵書の目録をつくらせ、ローマ大学を創設し、ジョットら画家や彫刻家のパトロンとなって文化・芸術の保護者となった。さまざまな点でルネサンス時代およびルネサンス教皇を先取りするかのような印象がもたれる教皇である。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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