ブルゴーニュ公シャルル(3)

文字数 1,243文字

ブルゴーニュ公シャルルについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
シャルルは自らが継承した、巨大だが分断された領土を統一するためには、フランス王を打倒する必要があると考え、そのために当時の全てにおいて最高の兵を雇い入れた。
やっぱりブルゴーニュはフランスの敵ですね。
イタリア傭兵からは重装騎兵と弩兵、手銃兵、槍兵を、イングランドからは騎乗長弓兵を、フランドルの家臣からは槍兵を集めた。
そんなにいろいろな兵を集めて戦う事ができたなんてうらやましい。
でも、いろいろな国のいろいろな兵を集めて、それできちんと統制は取れるのでしょうか?
兵たちは赤い聖アンデレの十字架をつけた青と白の制服を身に付け、系統化された軍旗と槍旗を持っていた。
同じ制服を着ることではっきり味方とわかるようにしたわけですね。
1471年からは軍の配置を説明する勅令が毎年出されている。そしてシャルルは異なる兵科を組み合わせて、それぞれが別の兵を支援できるように編成した。このため槍兵は弓兵と組み合わせて手銃兵に支援され、騎乗弓兵は騎兵とともに行動して、突撃して射るという攻撃が可能になった。
かなりマニアックな人ですね。
また、1453年のカスティヨンの戦いを参考に、効果的な野戦砲の開発を支援した結果、ファルコン砲と呼ばれる車輪付きの砲身の長い砲を大量に導入することに成功した。シャルルの構想した軍隊は150年後のテルシオや、マウリッツ・ファン・ナッサウ、スウェーデン王グスタフ2世アドルフの軍制に先駆けるものであったが、複雑な諸兵科連合と野戦砲の組み合わせは軍の完全な協調が求められることなど、この時代の情報・通信技術や兵站などの基礎的なインフラの限界もあって、実際の運用には障害となる問題が多かった。さらに長大なパイクで武装した1万から2万人を数えるスイス傭兵の大規模な隊列に対抗できるほどの、槍兵は持たなかったことがシャルル軍の致命的な弱点となった。
成功しなかったけど、考えていたことは凄いですね。
シャルルは公位継承以前に2度、継承後に1度、合わせて3度結婚した。

最初の妻はフランス王シャルル7世の娘カトリーヌ(1428年ー1446年)1440年に結婚したが、子をもうけることなく若くして死去した。

フランス王家とブルゴーニュ公爵家は長い間対立関係にありましたが、1435年にアラスの和約が結ばれ、両家の和解のためにこの結婚は行われました。
2番目の妻はブルボン公シャルル1世の娘で従妹(母アニュスがフィリップ善良公の妹)に当たるイザベル(1436年ー1465年)1454年に結婚し、1457年にシャルルの唯一の子となるマリーを生んだ後、若くして死去した。
このマリーについては、次回から紹介します。
3番目の妻はイングランド王エドワード4世の妹マーガレット(マルグリット、1446年ー1503年)、1468年に結婚した。子をもうけることなく夫と死別したが、マリーとマクシミリアン夫妻を助け、生涯公国のために尽くした。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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