スコットランド王ロバート1世(14)
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スコットランドとアイルランドの外交はある程度機能しており、少なくともアルスターではスコットランド人が幾つかの支援をしていた。例えばアイルランド首長ドナル・オ・ニールはローマ教皇ヨハネス22世に宛てた手紙において「全ての小スコッティア王の血統を辿ると我等が”偉大なるスコッティア”に辿り着き、同じ言語と習慣を保持している」と述べることで、スコットランド人への支持を正当化している。
ロバート1世のアイルランドへの遠征は、初期の軍事的成功という形で特徴づけられる。しかし、スコットランド人はアルスター以外の首長に対して勝利を得る、あるいはアイルランド南部(同地の人々にはイングランドとスコットランドの占領の相違を区別することができなかった)で意義のある収穫を得ることには失敗している。
エドワード・ブルースがファウグハートの戦いで殺されたことで、最終的には敗北した。この時代のアイルランドの年代記は、アイルランド民族にとってこれまでにない偉大な出来事の一つであるイングランドによるエドワード・ブルースの敗北は、イングランド・スコットランド双方によってもたらされたアイルランドの飢餓と略奪の終焉という事実に尽きると記述している。
ロバート1世の理想と実際にスコットランド人がアイルランドで行ったことは大きく違っていて、アイルランド人はむしろエドワード・ブルースの死にほっとしている・・・悲しいですね。祖先は同じでも利害関係ができれば略奪や搾取の対象になってそこから恨みが生まれてしまうのでしょうか?
ロバート1世の統治はまた、いくつかの外交上の成果を証明することとなった。1320年のアーブロース宣言は自身の立場、とりわけ強硬権力と「向かい合う」形で強化させることとなった。ローマ教皇ヨハネス22世は最終的にロバート1世の破門を解いたのである。1328年にイングランド国王エドワード3世は、スコットランドを独立した王国とし、かつロバート1世をその国王であることを認めるエディンバラ=ノーサンプトン条約に署名した。