カルロス・デ・ビアナ(2)

文字数 1,462文字

フェルナンド2世カトリック王の異母兄カルロス・デ・ビアナの生涯についての続きです。作品集には下の肖像画から入ってください。
ナバラ王位を巡って父フアン2世と対立したカルロス王子は1452年にアイバルの戦いで敗れて拘束されますが釈放されます。カルロス王子はナポリ王国へ向かい、伯父であるアラゴン王アルフォンソ5世に仲介を頼みますが、アルフォンソ5世が1458年に亡くなり、父フアン2世がアラゴン王として即位して状況は悪化しました。
フアン2世はアラゴン王として即位したならそれで十分だと思うが、それでもナバラ王位は手放さずに息子のカルロス王子と争っていたのか。
カタルーニャに向かったカルロス王子は、カタルーニャのブルジョワの支持を得ました。
カタルーニャで支持を得たということがフアン2世を警戒させたのかもしれない。息子のカルロスがナバラ王となり、さらにカタルーニャからの支持を得ればアラゴンはナバラとカタルーニャに挟まれることになる。
1460年、バルセロナで和平条約が結ばれました。でもカルロス王子はリェイダの包囲戦で再び囚われの身となりました。釈放後、フアン2世に反抗心の強いカタルーニャに残ったカルロス王子は1461年の9月にわずか40歳で急死します。
ナバラの王位を巡っての争いだけでなく、カタルーニャの支持をえたことでカルロスの立場はますます危うくなった。
カルロス王子の死因は結核でしたが、父フアン2世か継母のフアナ・エンリケスに毒殺されたという噂が強くカタルーニャで暴動が起きました。
僕も父が再婚して継母に苛められ修道院に入れられるという経験をしています。僕のように庶民の家でも継母というものは先妻の子を苛めます。それが王家でしかも毒殺の噂が出るくらいだから、この継母のファナ・エンリケスはよっぽど酷い人だったと思います。
私は継母よりも父フアン2世が酷いと感じました。どうして息子カルロスにナバラ王位を譲らずに内戦にまでしてしまったのでしょうか。私の子供は次々と亡くなり、結局育ったのは娘2人だけでした。神は私には後継者となる子を与えてはくれず、同じフアンという名のアラゴン王には後継者を与えてしまいました。
私は政治のことはよくわかりませんし、生まれた時からアラゴン王になると定められていたので、王位にこだわる気持ちもよくわかりません。でもナバラ王位にこだわって血を分けた息子と長年争うというのは、私にはどうしてもわかりません。なぜ大切な息子に対してこのようなことができるのでしょうか?
同じように父と対立しても、このカルロスの方が正統な跡継ぎでナバラだけでなくカタルーニャでも支持を得ていた。それなのにこのような死に方をするとは、毒殺でなくても気の毒である。
カルロス王子の死後、妹のブランカ王女(カスティーリャ王エンリケ4世の妃であったが、婚姻を無効にされてナバラに戻っていた)がナバラ王位につき、ブランカ2世と呼ばれていましたが、ブランカ2世は父フアン2世によって投獄され、1464年に毒殺されていました。
なんていうことを・・・フアン2世は同じ名前でも私とは全く違う。王位のために我が子と争い殺してしまうとは・・・
1467年、もう1人の妹レオノール王女はフアン2世の妃ファナ・エンリケスと会談を行い、レオノール王女がナバラを継承する代わりにアラゴン王位継承権を放棄することになりました。
やっぱり黒幕は継母だったのか。
ファナ・エンリケスがどこまで関わっていたかわかりませんが、もう少し彼女とフアン2世について調べてみます。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色