ボエモン1世(1)
文字数 782文字
ロベルト・イル・グイスカルドの長男、ボエモン1世についてです。作品集は下の画像から入ってください。
ロベルトに似て強そうな男ではないか。余の好みのタイプだ。
ノルマン人のプッリャ・カラブリア公ロベルト・イル・グイスカルドと彼の最初の妻アルベラーダの長男として生まれる。おそらくサン・マルコ・アルジェンターノの父ロベルトの城で生まれたために、「マルコ」と名付けられたが、彼の背がとても高かったことから伝説上の巨人の名になぞらえて「ボエモン」と呼ばれた。
当初、父の東ローマ帝国遠征に従い、ギリシャで戦う。1085年の父の死後、異母弟のルッジェーロ・ボルサがプッリャ公を継いだため、ターラント公になる。
父ロベルトと一緒に戦ったのに、プッリャ公は異母弟が継ぐことになったのですか?ボエモンはきっとこのことに不満を持ったと思います。
南イタリアのノルマン騎士たちを集め、甥のタンクレードを連れて1096年の第1回十字軍に参加し、ゴドフロワ・ド・ブイヨン、レーモン・ド・サン=ジルとともに事実上の指導者の一人になる。アンティオキア攻囲戦における指導など、第1回十字軍の成功は彼の手腕に帰すと考えられるものも多いが、エルサレム攻囲戦には加わらずアンティオキア公になる。
1096年の第1回十字軍は世界史の出来事の中でも有名で年号も暗記しました。
十字軍は教皇の呼びかけによって行われましたが、エルサレムを取り戻すという宗教的な目的よりも、ボエモンのように相続した領土に不満を持ち、新しい領土を求めて参加した騎士が多かったと思います。彼らは領土さえ手に入れればそれでよく、だからボエモンもアンティオキアを手に入れた後、エルサレムの攻囲戦には加わらなかったのだと思います。
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