ピエール・ガッサンディ(1)

文字数 914文字

ティコ・ブラーエの伝記を書いた17世紀のフランスの学者、ピエール・ガッサンディについてです。作品集は下の画像から入ってください。
ピエール・ガッサンディ(1592年ー1655年)はフランスの物理学者・数学者・哲学者。
プロヴァンス地方でディーニュ=レ=近郊シャンテルシェで貧しい農夫の子として生まれ、ディーニュ大学に聴講し、言語学と数学に才能を示す。エクサンプロヴァンス大学で哲学を学び、16歳で修辞学の教師となり、3年後に神学と哲学の教授となった。
この時代のフランスは貧しい家の子であっても学ぶ機会が与えられ、大学教授にまでなることができたのですね。
翌年の1612年に神学を講義するためにディーニュ大学に招聘され、1616年にアヴィニョンで神学の学位を授与された翌年に僧職に就いた。同年、エクサンプロヴァンス大学で哲学教授となり、徐々に神学研究から遠のくことになる。1628年から1633年までフランドルとオランダへ旅行。1633年に元老院議員のベイレスシウスに推挙され、聖堂参事会員となりディーニュ聖堂学院の学長となる。1645年にパリのコレージュ・ロアイヤルの数学教授となり、1648年に体調を崩すまで講義を行った。パリで没する。
ティコ・ブラーエのところで反アリストテレス主義、反カトリシズムと書いてあったのですが、特に迫害を受けることもなく、出世も順調だったようです。
青年時代のガッサンディは、懐疑論者シャロンなどの影響によりアリストテレスの権威から解き放たれ、スコラ学者が解釈した揶揄攻撃するパンフレットを書いて一部を出版し、その激しさを懸念した友人の忠告により5巻分は焼却した。
かなり危険なことをしていますね。
ガッサンディの批判は、自らの唯物論を教会の教理に順応させたデカルトにも向けられた。感覚から与えられる印象を疑った「デカルト的懐疑」を観念の遊戯と考え、「存在は思惟によってのみ認められる」とするデカルトに対し、「存在は、まさしく思惟からと同様に、他のいかなる作用からも推測することができる」と反論した。
こういう議論はよくわからないのですが、このような議論がされているということは時代は大きく変わっているのですね。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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