フルク5世(2)
文字数 968文字
フルク5世は、髪は赤毛でずんぐりした体型であったとされ、宮廷史家であったギヨーム・ド・ティールはフルクを『人の名前と顔を覚えるのが苦手で、側近に頼り過ぎていた』と報告しており、他の年代記者からは赤毛であることと「友人を依怙贔屓する」面を非難されていたが、『フルクはダビデ王と同じ赤毛であったが、信心深く、施しを惜しまない。彼は国政を司ることになる以前から、その身体は強力で影響力のある貴公子であり、国民をうまく統治していた。経験豊かな兵士で、戦争に関しては忍耐強く、賢明な人物であった。中肉中背であった』と好意的に評価されている。
1109年の父の死後、フルク5世は20歳前後でアンジュー伯位を継承した。同年にメーヌ伯エリー1世の娘で女性相続人のエランブルジュと結婚、翌1110年に義父エリー1世が死去するとメーヌ伯領を併合した。妻エランブルジュとメーヌを共同統治した。
ヘンリー1世の甥(先のノルマンディー公ロベール2世の子)でノルマンディー公位を要求していたギヨーム・クリトンとも手を組み、次女シビーユとギヨームの婚約を画策、ヘンリー1世に反抗するシュルーズベリー伯爵ロバート・オブ・ベレームらノルマン貴族たちやルイ6世、外叔父にあたるモンフォール卿アモーリーとの連携でヘンリー1世を苦しめた。