アラゴン王家の国際結婚
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『スペイン旅行の写真』にも紹介したように、ミゲル・セルベートの家で行われた追悼式典の講演はアラゴンの歴史、特に婚姻関係で他の国とどのようにつながってきたかの話のようでした。そこで今日はラミロ2世からペドロ2世までの各時代の王様の国際結婚について振り返ってみます。作品集は下の写真から入ってください。
余、ラミロ2世は47歳でアラゴン王位を継ぐことになり、『ウエスカの鐘』の粛清を行った後、アキテーヌ公ギョーム9世の娘イネスと結婚した。彼女はその時30歳を過ぎていて子持ちの未亡人であったが、家柄が釣り合い、すぐに子を産んでくれそうで都合がよかった。
全くない(きっぱり)そして余は娘ペトロニーラの結婚相手にバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世と結婚させた。ラモン・バランゲー4世とその父親バランゲー3世がテンプル騎士団の団員ということもちょうどよかった。それでアルフォンソ1世兄上の『王国を騎士団に寄進する』という遺言も形を変えて守ることになった。
ここからは余が話す。ペトロニーラとラモン・バランゲー4世の子アルフォンソ2世が余の父上だ。アルフォンソ2世はカスティーリャ王アルフォンソ7世の娘サンチャと結婚した。2人の間には余ペドロ2世など多くの子が生まれた。ハインリヒ7世の母コンスタンサは余の妹だ。
こうして見るとラミロ2世からペドロ2世までみんな国際結婚ですね。そしてアラゴンはそのたびに領土が広がったり他国との外交関係がよくなっている。特にアルフォンソ2世にはたくさんの子がいたので、特にフランスとの関係が強くなりました。