第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラス(2)

文字数 1,056文字

第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
1571年に第18代マー伯ジョン・アースキンが幼王ジェームズ6世の摂政に就任した頃から実権を握るようになり、その翌年にマー伯が死去すると代わって摂政に就任した。
反ボスウェル派の中心にいてメアリーを追い出したことでモートン伯は実権を握ることになりましたね。
摂政としては中央集権化と秩序回復に尽力した。イングランド軍の助力も得て、依然エディンバラ城に立てこもっていたメアリー派を排除した。
モートン伯は政治的な力を持っていたのですね。
宗教政策では監督制復活をはじめとするプロテスタント推進政策をとったが、ジョン・ノックスらが主張する長老派による聖職者任命制の導入の提案は却下し、「教会の長は国王」との立場を堅持して司教任命権を国王に温存させた。これはモートン伯がいつの日かジェームズ6世はイングランド王位も継ぐだろうと確信していたためという。そのためにはイングランド式王権のもとに司教を置く体制を作り、またイングランドとの同盟関係を維持する必要があった。
モートン伯はジョン・ノックスのやり方に完全に従ったわけではなく、ジェームズ6世がイングランド王になることを考えてイングランド式も残そうとした、かなりしたたかですね。
しかし彼の強権的統治は反発を招き、特にカトリック貴族からは憎まれた。少年王ジェームズ6世もモートン伯を嫌っていた。そうした空気の中で1578年には第6代アーガイル伯爵コリン・キャンベルにより摂政解任に追い込まれた。
ジェームズ6世がモートン伯を嫌ったのは、彼が母メアリーを追い出した張本人であると知っていたからでしょうか?
摂政解任後も実権を握ったが、カトリックのレノックス伯エズメ・ステュワートの奸計により、王配ダーンリー卿ヘンリーステュワート暗殺の罪を着せられ、1581年6月2日にスコッチ・メイデン(ギロチン)で処刑された。皮肉にもこの断頭台はモートン伯がイングランドから輸入したものだった。
スコットランドは本当に恐ろしい国です。
子供はなかった。1581年11月29日には3代モートン伯の娘婿にあたる第8代マクスウェル卿ジョン・マクスウェルが新規にモートン伯爵に叙せられているが、1586年1月29日には4代モートン伯の甥にあたる8代アンガス伯アーチボルト・ダグラスに第5代モートン伯爵位の継承が認められた。
次回からモートン伯を罠にかけたカトリックのレノックス伯エズメ・ステュワートについて調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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