ジャン・カルヴァン(11)
文字数 780文字
1553年のセルベートの処刑について、宗教的不寛容ないし裁きを神に委ねなかったという意味で、カルヴァン生涯最大の汚点という論者も絶えない。亡命ユダヤ人シュテファン・ツヴァイクはカステリオンとカルヴァンの対決を扱った評伝『権力と戦う良心』で、カルヴァンと当時のジュネーヴ市をアドルフ・ヒトラーとナチス治下のベルリンになぞらえて、カルヴァンを絶対的な権力を振るう人物として描いている。日本の渡辺一夫も本来手段であった権力を全面的に追及することになったと評価し、大江健三郎もこれに賛同している。
また、ジュネーヴの近くにある、セルベートが火刑で苦しんだ教会には「当時の誤謬は非難されるべきにもかかわらず、わたしたちの偉大なる改革者であるカルヴァンの従順で誠意ある後継者として、良心の自由に堅く立つ者として、また宗教改革と福音の真の理念に従って、われわれは、ここに贖罪の碑を建て続けるものである。1903年10月27日」と銘文の刻まれた贖罪の碑が建てられている。
スペイン人のセルベート研究家などはこの碑についてはかなり批判しています。またこの時は彫像も置かれる予定でしたが、出来上がった時にジュネーヴは受け取りを拒否し、現在フランス領になっている別の都市に置かれています。同じ作者の別の型から作ったよく似た彫像がスペイン、サラゴサにあるミゲル・セルベート病院に置かれています。