ブルゴーニュ公ジャン1世(1)
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ジャン1世(1371年ー1419年)はヴァロワ=ブルゴーニュ家の第2代ブルゴーニュ公(在位1404年ー1419年)「無怖公」あるいは「無畏公」と呼ばれる。フィリップ2世とフランドル女伯マルグリット3世の長男。
ブルゴーニュ公爵夫妻の第1子、長男として生まれた。次弟アントワーヌはブラバント公、末弟フィリップはヌヴェール伯およびルテル伯である。妹マルグリットは下バイエルン=シュトラウビング公・エノー伯・ホラント伯・ゼーラント伯ヴィルヘルム2世と結婚、2人の妹カトリーヌはオーストリア公レオポルト4世に、マリーはサヴォイア伯アメディオ8世(対立教皇フェリクス5世)にそれぞれ嫁いだ。
1385年に下バイエルン=シュトラウビング公・エノー伯・ホラント伯・ゼーラント伯アルブレヒト1世の娘マルグリット・ド・バヴィエールと結婚した。同時にマルグリットの弟ヴィルヘルムと無怖公の妹マルグリットも結婚、二重結婚を通してヴァロワ=ブルゴーニュ家は北方に進出する足掛かりを得た。
1396年にハンガリー王ジギスムント(後の神聖ローマ皇帝)による対オスマン帝国の十字軍に参加し、ニコポリスの戦いの大敗により捕虜となったが、その勇猛さ(あるいは軽率な向こう見ずさ)から「無怖」とあだ名されるようになった。