シャルル・ド・ブルゴーニュ

文字数 984文字

ボンヌ・ダルトワの子、シャルル・ド・ブルゴーニュについて紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
肖像画がステンドグラスになっているなんてかっこいいですね。
シャルル・ド・ブルゴーニュ(1414年ー1464年)は、中世フランスの貴族、王家傍系のヴァロワ=ブルゴーニュ家の一員。ヌヴェール伯およびルテル伯(在位1415年ー1464年)
ここからブルゴーニュ家になってしまうのですね。私はバカ息子(無怖公)のいるブルゴーニュ家はどうも好きになれません。
ブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)の末息子であるヌヴェール伯およびルテル伯フィリップと、その2番目の妻でウー伯フィリップの娘であるボンヌ・ダルトワの間の長男として生まれた。1415年にアジャンクールの戦いで戦死した父の後を継ぎ、わずか1歳で2つの伯爵量を相続する。
よい家系に生まれても幼い時に父を失うと大変だと思います。
1425年に後見人だった母が死ぬと、母の再婚相手で実の従兄でもあるブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)の後見を受けた。成人後はフランス王家に仕え、本家筋のブルゴーニュ公爵家とは対立した。
なぜ彼はブルゴーニュ家を離れて自分の意志でフランス王家に仕えるようになったのでしょうか?父親がアジャンクールの戦いでフランス側について戦死したということを考えたからですか?
シャルル7世の下でノルマンディー遠征(1449年ー1450年)、ギュイエンヌ遠征(1451年ー1453年)に参加している。
何度も言っていますが、フランス王シャルル7世は私の義理の孫です。ノルマンディーとギュイエンヌを奪回することで、シャルル7世はフランスにおけるイングランド領の大半を取り戻して百年戦争に終止符を打ったのです。このことはもっと高く評価されるべきです。そしてシャルル7世の最後の戦いに参加したシャルル・ド・ブルゴーニュも偉大な人物だと思います。陰謀や裏切りが多い時代でありながら、一貫して王家に忠実でした。
1456年6月11日にドルー伯シャルル2世の娘マリー・ダルブレ(1486年没)と結婚したが、間に嫡子を授からなかった。妾のヨランド・ド・ロンゴンとの間にアドリエンヌ・ド・ヌヴェールという庶出の娘をもうけている。1464年に死去すると、弟のエタンプ伯ジャンが後を継いだ。
次回は弟のエタンプ伯ジャンについて紹介します。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色