占星術と天文学

文字数 1,730文字

ミゲル・セルベートに関するエッセイの中で、占星術を巡ってのトラブルと彼が占星術に対してどのように考えていたかを書きました。ここではさらに次の時代に進み、占星術と天文学について話題にします。作品のページは下の肖像画から入ってください。
この肖像画は誰だ?今まで全く見たことがない。
この人はティコ・ブラーエという名前でデンマークの貴族です。1546年に生まれ1601年に亡くなっています。天文学者、占星術師、錬金術師、作家として知られています。
僕が生まれたのは1518年だから僕より後の時代、しかもデンマーク人なので僕たちが知らないのも当たり前です。
天文学の話をするにあたって、天動説と地動説についても説明しなければなりません。ポーランド出身の天文学者コペルニクス(1473ー1543)が『天球の回転について』(1543年)という本で天動説を覆す地動説を唱えました。
太陽や月、星が動いているのではなく、地球の方が動いているなどという考えは全く信じられない。
現代では当たり前になっている説ですが、当時地動説はなかなか受け入れられませんでした。コペルニクスはボローニャで法律を学んだ後、パドヴァ大学で医学を学び(1501年)この時に医療では必須科目だった占星術も学んでいます。そして余暇で天体観測も行い、1510年頃には地動説の着想も得て、1529年頃には地動説についてまとめ始めましたが、実際に出版を考えたのは死の直前でした。
地動説について考えたのは僕が生まれる前ですが、実際に本が出版されたのはずっと後だったのですね。
コペルニクスの本は死後多くの人が読み、影響を与えています。ジョルダーノ・ブルーノ(1548ー1600)という人は宇宙論をさらに広げて『無限・宇宙・諸世界について』という本を書いています。この本や地動説を支持したことだけが原因でなくても、異端の理由に加えられ、1600年に火刑となっています。
そんなに後の時代になっても、まだそのような理由で処刑されることがあったのか。
天文学者で物理学者のガリレオ・ガリレイ(1546ー1642)は1616年に異端審問裁判で地動説は以後唱えないように注意されています。
そして最初に肖像画を出したティコ・ブラーエ(1546ー1601)ですが、彼はデンマーク王の庇護を受けてヴェン島に巨大な天文台を作り、20年以上そこで当時としては極めて正確な天文観測を行いました。
ティコ・ブラーエの人生はジョルダーノ・ブルーノの生きた時代と重なっていますね。地動説を唱えたことで処刑された人がいる同じ時代に国王の支援を受けて天体観測をした人もいたのですか?
ジョルダーノ・ブルーノが捕らえられたのがヴェネツィアで処刑されたのはローマ、ガリレオ・ガリレイもイタリア人だったので、カトリックの国の方が新しい説に厳しかったのかもしれません。またティコ・ブラーエの研究は占星術と結びついていたので、そうした知識が欲しくて研究を支援したのだと思います。
カトリックとプロテスタントで異端審問のやり方も違っていたのかもしれない。だがどちらもそれぞれの考えに従わない者は容赦なく殺している。
でもティコ・ブラーエは国王の世代交代で王と不仲になり、1599年に神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の宮廷に招かれています。ルドルフ2世(1552ー1612)は政治的には優柔不断で跡継ぎも残さず、晩年に王位も弟に譲っていますが、たくさんの芸術家や学者を宮廷に集めたことで有名です。
性格は私に似てますが、国の規模と影響力が違いますね。
ルドルフ2世の宮廷でティコ・ブラーエとケプラーが出会います。ケプラー(1571ー1630)はティコ・ブラーエの死後天体観測の資料を全て引継ぎ、1609年に『新天文学』を出版し、その中に有名な『ケプラーの法則』も含まれていました。
ケプラーはかなり幸運ですね。ちょうどいい時代、国に生まれて異端審問に引っかからず、ルドルフ2世のいるプラハでティコ・ブラーエの助手となり、天体観測の資料を全部受け継ぐことになる。神が運を与えてくれているようにも見えます。
ケプラーについては、彼の生涯は幸運なだけではないのですが、それはまた別の機会に話題にします。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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