エメリー・ド・リュジニャン(2)

文字数 871文字

エメリー・ド・リュジニャンについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
エメリー・ド・リュジニャンは1197年に、夫シャンパーニュ伯アンリ2世と死別したばかりのエルサレム王イザベルと結婚し、エルサレム王位に就いた。
エメリーもエルサレム王になっているのですが、ほとんど知られていません。
翌1198年、トリポリ伯レーモン3世の継子ティベリアスのラウルが王の暗殺を計画したとして領地没収を宣告したところ、ラウルが王によってではなく最高法院による裁きを求めて反抗、これに他の貴族たちも同調し王に反抗したため、エメリーはラウルを国外追放にしている。このころよりエルサレム王国では、法律の知識を持つ貴族が王に反抗する図式が出来上がっていったとされる。王としてのエメリーは法律に関する深い知識を持っていたことで評価されており、また、キプロス島の実質的な建設者であったとされている。また、アイユーブ朝のスルタンアル=アーディルとの間の休戦協定も継続させた。
こうして見ると、エメリーの方がギーよりも教養があり常識的な人物だったように思います。このような王の時代の方が平和が続いていたのに、極端な人の方が有名になってしまいますね。
1205年4月1日にエメリーは死去した。魚にあたったともいわれている。キプロス王位は最初の妻との間の息子ユーグ1世が継承した。妃でエルサレム女王のイザベルもエメリーの死から4日後に死去し、エルサレム王位はイザベルとモンフェラート侯コンラートとの間の娘マリーアが継承し、キプロス王位とエルサレム王位は再び別々に継承されることとなった。
マリーアの娘イザベル2世もエルサレム女王となり、皇帝フリードリヒ2世と結婚しています。
フリードリヒ2世はハインリヒ7世の父です。離れて暮らす父が再婚してエルサレム王国の継承権を持つ異母弟が生まれたということが、ハインリヒ7世を苦しめ、やがて父と対立して反乱を起こすようになったのではないかとも思いました。
次回からギー・ド・リュジニャンと手を組んだルノー・ド・シャティヨンについて調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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