ベネディクトゥス13世(対立教皇)(2)

文字数 1,356文字

ベネディクトゥス13世についての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
後のベネディクトゥス13世は教会大分裂が始まった際に対立教皇クレメンス7世を支持してアヴィニョンに残留した。クレメンス7世からは教皇使節に任命され、教皇の代理としてアラゴン、カスティーリャを味方に付け、後に聖人となるビセンテ・フェレールを補佐にして支持者集めに奔走した。
ビセンテ・フェレールという人ですが、1350年にアラゴン連合王国を構成するバレンシア王国のバレンシアで生まれました。1367年、17歳でドミニコ会に入り、1378年の教会大分裂が始まると後のベネディクトゥス13世に引き立てられて司祭に叙階しました。主にイベリア半島で民衆にアヴィニョン支持を呼びかけ、熱狂的な人気を得ていました。
1350年というと私と同じ年の生まれです。バレンシア王国もアラゴン連合王国の1つなので、私はバレンシア王でもあったわけです。
ウルバヌス6世は評判悪いし、対立教皇のクレメンス7世には後のベネディクトゥス13世や後に聖人となるような人も味方にいたから、アヴィニョン側が有利になりそうですけど・・・
1394年9月20日にクレメンス7世がアヴィニョンで行われたコンクラーヴェでベネディクトゥス13世は教皇に選出された。
この時ベネディクトゥス13世は66歳になります。
教皇に合同に努力することを誓い、ローマ教皇ボニファティウス9世、インノケンティウス7世、グレゴリウス12世と交渉を試みたがいずれも失敗、支持者だったシャルル6世から見捨てられ、1398年にはフランス軍の軍勢にアヴィニョンを占領され、5年あまり教皇宮殿に立てこもった後、1403年にアヴィニョンから脱出せざるを得なくなった。
ちょっと待ってください。フランスはシャルル5世の時にアヴィニョン側を支持していたのに、どうしてシャルル6世の時代になったら攻撃してくるのですか?
シャルル6世は私の義理の孫シャルル7世の父親になります。1380年から1422年まで42年も国王でしたが、狂気王と呼ばれました。当時のフランスは国王が狂気に陥り、ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立があり、イギリスとの100年戦争があり、義理の孫シャルル7世は王位につくまでに大変な苦労をしたようです。私は1396年、ビオランテがフランスのアンジュー家に嫁ぐ前に亡くなっていますが・・・
シャルル6世については狂気のエピソードやその他の争いがたくさんあり過ぎて、アヴィニョンの教皇ベネディクトゥス13世を裏切ってフランス軍が攻撃したことについては何も書いてなかったです。
酷いですね。シャルル6世、つまりフランスからの支持を失ったことはベネディクトゥス13世にとっては大きな痛手となったはずです。
1403年にアヴィニョンから脱出したベネディクトゥス13世は1408年からペルピニャンを避難場所として提供したアラゴン王マルティン1世の支持にすがるほかなくなった。
フアン1世の弟マルティン1世もいい人ですね。王妃がルナ家出身という理由もあるかと思いますが、最後まで裏切らないでいます。
教皇になったベネディクトゥス13世は次々といろいろな人に裏切られていくわけですが、最初に裏切ったのはフランス国王シャルル6世でした。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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