ベネディクトゥス13世(対立教皇)(2)
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後のベネディクトゥス13世は教会大分裂が始まった際に対立教皇クレメンス7世を支持してアヴィニョンに残留した。クレメンス7世からは教皇使節に任命され、教皇の代理としてアラゴン、カスティーリャを味方に付け、後に聖人となるビセンテ・フェレールを補佐にして支持者集めに奔走した。
ビセンテ・フェレールという人ですが、1350年にアラゴン連合王国を構成するバレンシア王国のバレンシアで生まれました。1367年、17歳でドミニコ会に入り、1378年の教会大分裂が始まると後のベネディクトゥス13世に引き立てられて司祭に叙階しました。主にイベリア半島で民衆にアヴィニョン支持を呼びかけ、熱狂的な人気を得ていました。
教皇に合同に努力することを誓い、ローマ教皇ボニファティウス9世、インノケンティウス7世、グレゴリウス12世と交渉を試みたがいずれも失敗、支持者だったシャルル6世から見捨てられ、1398年にはフランス軍の軍勢にアヴィニョンを占領され、5年あまり教皇宮殿に立てこもった後、1403年にアヴィニョンから脱出せざるを得なくなった。
シャルル6世は私の義理の孫シャルル7世の父親になります。1380年から1422年まで42年も国王でしたが、狂気王と呼ばれました。当時のフランスは国王が狂気に陥り、ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立があり、イギリスとの100年戦争があり、義理の孫シャルル7世は王位につくまでに大変な苦労をしたようです。私は1396年、ビオランテがフランスのアンジュー家に嫁ぐ前に亡くなっていますが・・・