ニコラウス・コペルニクス(12)
文字数 835文字
コペルニクスは、次に内惑星(金星、水星)に目を向ける。プトレマイオスの理論では、内惑星の理論の太陽の運行を反映する部分は、単純な等速円運動ではなかったが、コペルニクスはこれを等速円運動の組み合わせで書き直していて、平均的な運動を担う円を分離していた。ここに外惑星と同様の変換をすると、今度は平均的な太陽が中心の理論が得られた。
ここでコペルニクスは選択を迫られた。外惑星の理論の変形で得られた、ティコの理論に似た体系を選ぶか、あるいは内惑星の理論の変形で得られた太陽中心の理論を選ぶかである。もし、前者を選ぶと、どうしても火星の軌道と太陽の軌道が交錯する。コペルニクスはその当時の通説に従って、惑星は透明な殻(天球)に貼り付いていると考えていた。コペルニクスには天球が何らかの物質的存在である限り、物体が相互に浸透して自由に回転しうるとはとても考えられなかったのであろう。そこでこれを避けるために地球も太陽のまわりを回るとした。
コペルニクスは惑星の軌道の大きさが公転周期の順序にも当てはまることに気がついた。もっとも大きな円を描く土星は30年で1周し、太陽は365日で地球のまわりを回る。これは火星の687日と金星の225日の間である。そこでコペルニクスは地球の円軌道を火星と金星の間に置いてみた。こうしてすべての惑星が太陽のまわりを回ることになった。コペルニクスは後に『天球の回転について』で、「他のどんな配置にも、軌道の大きさと周期の間にこれほどの調和に満ちた確かな関係を見いだすことはない」と、この発見について書いている。