ブルゴーニュ公フィリップ3世(5)

文字数 1,337文字

ブルゴーニュ公フィリップ3世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
和約によりフランスと友好関係が築かれたが、イングランドにとっては裏切りでしかなく、報復としてフランドル商人の弾圧、商船の襲撃などを行い、対するフィリップ3世も1437年にイングランド領のカレーを包囲したが失敗、逆にブリュージュ・ヘントなどが蜂起して足元が揺らいだため、都市の反乱を平定した後の1439年9月にイングランドと休戦協定を結び、通商関係も回復して事なきを得た。
フィリップ3世は交渉がうまくて大変な状況に陥ってもよい方向に向けている、だから後の時代では評価は高いのかと思いました。悔しいけど・・・
翌1440年、妻イザベルの尽力でイングランドから解放された父の政敵オルレアン公シャルル・ド・ヴァロワを迎え入れ、姪マリー・ド・クレーヴ(姉マリーとクレーフェ=マルク公アドルフの娘)を娶わせている。
結婚した時、マリーが14歳だったのに比べ、シャルルは49歳でした。けれども2人の間には3人の子が生まれ、1人は後にフランス王ルイ12世となりました。
こうして捕虜になっていたオルレアン公シャルルを救い、子孫が繋がる手助けをしたことが高く評価され、それまでにしたことはあまり追及されなくなってしまうのですね。
背後を固めたフィリップ3世は再びネーデルラントへ目を向け、ルクセンブルクへ狙いを定めた。この地はロレーヌ公国と共に2つに分かれたフィリップ3世の領国(北のネーデルラント・南のブルゴーニュ)の連結を果たしていたため必要だったが、代々の領主が金に困り転売を繰り返していた土地だった。
余は1383年に死去した叔父ヴェンツェル1世(ボヘミア王ヨハンの子でカール4世の異母弟)からルクセンブルクを受け継いだが、1388年にルクセンブルクをヨープストへ借金の抵当として渡してしまった。以後ルクセンブルクは他国の人間に転売され続けた末にルクセンブルク家から離れていった。
え、そんなこともあるのですか?
1441年にフィリップ3世は領主エリーザベト・フォン・ゲルリッツと協定を交わして抵当権を手に入れたが、同盟の従妹エリーザベト・フォン・ルクセンブルクが所有権を持っていたため彼女の娘アンナの夫テューリング方伯ヴィルヘルム3世が所有権を主張して1443年に戦争となった。フィリップ3世は武力でルクセンブルクを占領して実質的に領主となり、ヴィルヘルム3世と交渉して彼が主張を放棄した1461年に正式にルクセンブルクの領主として認められ、ベネルクス3国はフィリップ3世が所有した。
結局ベネルクス3国はみなブルゴーニュ公フィリップ3世の領土となってしまうのですね。この場合そこに住んでいた領民はどう思うのでしょうか?中途半端に次々と領土を転売されるよりも、力のある領主がまとめてくれ守ってくれた方がいいと考えるのでしょうか?
領主や王に力があるかどうかで国境や領土は簡単に変わってしまう。領民が領主や王に求めるのは道徳心ではない。卑怯な手段を使っても国が豊かになり生活が守られれば良い領主、良い王と呼ばれる。逆に国が乱れ略奪が横行すれば、どんなに高い理想を持っていてもだめな王にされてしまう。結果がすべてだった。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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