ブルゴーニュ公フィリップ3世(5)
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和約によりフランスと友好関係が築かれたが、イングランドにとっては裏切りでしかなく、報復としてフランドル商人の弾圧、商船の襲撃などを行い、対するフィリップ3世も1437年にイングランド領のカレーを包囲したが失敗、逆にブリュージュ・ヘントなどが蜂起して足元が揺らいだため、都市の反乱を平定した後の1439年9月にイングランドと休戦協定を結び、通商関係も回復して事なきを得た。
背後を固めたフィリップ3世は再びネーデルラントへ目を向け、ルクセンブルクへ狙いを定めた。この地はロレーヌ公国と共に2つに分かれたフィリップ3世の領国(北のネーデルラント・南のブルゴーニュ)の連結を果たしていたため必要だったが、代々の領主が金に困り転売を繰り返していた土地だった。
余は1383年に死去した叔父ヴェンツェル1世(ボヘミア王ヨハンの子でカール4世の異母弟)からルクセンブルクを受け継いだが、1388年にルクセンブルクをヨープストへ借金の抵当として渡してしまった。以後ルクセンブルクは他国の人間に転売され続けた末にルクセンブルク家から離れていった。
1441年にフィリップ3世は領主エリーザベト・フォン・ゲルリッツと協定を交わして抵当権を手に入れたが、同盟の従妹エリーザベト・フォン・ルクセンブルクが所有権を持っていたため彼女の娘アンナの夫テューリング方伯ヴィルヘルム3世が所有権を主張して1443年に戦争となった。フィリップ3世は武力でルクセンブルクを占領して実質的に領主となり、ヴィルヘルム3世と交渉して彼が主張を放棄した1461年に正式にルクセンブルクの領主として認められ、ベネルクス3国はフィリップ3世が所有した。
結局ベネルクス3国はみなブルゴーニュ公フィリップ3世の領土となってしまうのですね。この場合そこに住んでいた領民はどう思うのでしょうか?中途半端に次々と領土を転売されるよりも、力のある領主がまとめてくれ守ってくれた方がいいと考えるのでしょうか?