クレルヴォーのベルナルドゥス(6)

文字数 1,145文字

クレルヴォーのベルナルドゥスについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
ベルナルドゥスは教皇の願いに応じて十字軍の勧誘演説を行うことになった。この効果は絶大で、ヴェズレーでの会談でフランスの諸侯の前でベルナルドゥスが十字軍への勧誘を行った結果、感動した諸侯は続々聖地へと赴いた。その中にはフランス王ルイ7世、当時その王妃だったアリエノール・ダキテーヌ含まれていた。さらに各地を回って遊説した結果、熱狂的な十字軍運動を巻き起こし、神聖ローマ皇帝コンラート3世も十字軍に加わった。
僕はユダヤ人なので、十字軍運動については全く評価できません。第1回十字軍の時、多数のユダヤ教徒とイスラム教徒が虐殺されました。神がこのような行為を許すわけないのに、ベルナルドゥスも大部分のキリスト教徒もそのことは全く気にせず、十字軍運動が神の意志であると発言しています。
しかし肝心の十字軍が惨敗したことが、ベルナルドゥスに大きなショックを与えた。彼はなぜ神がこのような結末を許したのかと自問し、結局従軍者の犯した罪によるのだと結論した。ベルナルドゥスは十字軍敗退の知らせをクレルヴォーで聞いたが、そこにはアルノルド・ダ・ブレシアの反乱によってローマを追われたエウゲニウス3世もかくまわれていた。1148年にはベルナルドゥスは教皇とともにランス教会会議に参加、スコラ学者でポワチエ司教のジルベール・ド・ポワレの学説を攻撃したが、そのころには十字軍の失敗などによってベルナルドゥスの影響力はかなり弱まっていた。
もし第2回十字軍が成功していたなら、キリスト教徒は異教徒に対してもっと酷い虐殺を行い、ベルナルドゥスの名声は高まったのでしょうか?
アルノルド・ダ・ブレシアは神学者アベラールの弟子で急進的宗教改革運動アルノルド派の指導者でした。この時代は様々な考えの神学者が出て、複雑に関係していました。
十字軍の敗北によって、新しい軍勢を投入しようという動きが起こり、フランスの霊的指導者となっていたサン・ドニ修道院の院長シュジェールの招きでシャルトル教会会議に参加したベルナルドゥスは、教皇の求めで自ら十字軍の陣頭に立つことを要請された。幸い、クレルヴォーの院長職の責任からこの任務を逃れたが、さまざまな出来事や論争、親友の死などによってベルナルドゥス自身も衰えていた。しかし、明晰な頭脳が死ぬまで衰えなかったことは、最後の著作『デ・コンシデラチオーネ』が証している。1153年8月20日、ベルナルドゥスは死去した。自ら開いたクレルヴォー修道院が最後の地となった。
サン・ドニ修道院長のシュジェールはフランス王ルイ6世の親友でルイ6世とルイ7世の政治顧問として仕えています。次回からシュジェールについて調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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