ジギスムント(4)
文字数 1,489文字
1405年頃(1408年とも)ジギスムントはツェリェ伯ヘルマン2世の娘バルバラ・ツェリスカと再婚した。ヘルマン2世はマーリアとは共に母方の従兄妹であり、アールパード朝のハンガリー王イシュトバーン5世を始め、中東欧の多くの名門貴族の血を引いており、この結婚でジギスムントの王位の正統性の補強が期待された。
ハンガリーとイタリアを結ぶ重要な拠点であるツェリェ地方に勢力基盤を築くことができるようにもなり、これにより国内の不満は和らいだ。しかもこの結婚の結果ツェリェ家が統治していたアドリア海沿岸の要所スロヴェニアを獲得した。ジギスムントとバルバラの間には一女エルジェーベト(エリーザベト)が生まれた。
ジギスムントはバルバラや自分に忠誠を誓う大貴族とともに、1408年にドラゴン騎士団を創設する。これは対オスマン戦に向けて創設したもので、当初は24人の名士からなっていたが、後に国外の王侯貴族も加わった。
その中の一人がワラキア公ヴラド2世であり、騎士団にちなんでドラゴン(ドラクル)公と呼ばれた。ヴラド2世の息子がドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュであるが、ドラキュラは元来「ドラクルの子」という意味であった。
主な騎士団員の名前としてはアラゴン王アルフォンソ5世、ポーランド王兼リトアニア大公ヴワディスワフ2世、デンマーク王クリストファ3世、イングランド王ヘンリー5世などが入っていました。でもドラゴン騎士団はジギスムントの死後没落したようです。