ティコ・ブラーエ(7)
文字数 1,112文字
古代以来、月軌道を超えた世界は永久不変(天の不変はアリストテレス主義的世界観の基本的な公理であった)とされていたため、他の観測者たちはこの現象は地上から月までの球より下の現象であると主張した。しかしまず、ティコは観測でこの天体に背景の恒星に対する日周視差が観測されなかったことを示した。これは少なくとも、そのような視差が見られる月や惑星よりもこの天体が遠くにあることを暗示していた。また、全ての惑星は、たとえ日周視差が検出されないような外側の遠い惑星でも周期的な軌道運動を行っていたのに対し、彼はこの新しい天体の相対位置が数か月以上にわたり背景の恒星に対して変化しなかったことも発見した。これはこの天体が惑星でもなく、あらゆる惑星よりも遠い天球にある恒星であることを示していた。
これはすごい発見だと思うのですが、自分が習った頃、世界史でティコ・ブラーエの名前は出てこなかったし、「詳説世界史研究」(2008年1月30日発行)を見ても、コペルニクス、ガリレオ、ケプラーの名前はあっても、ティコ・ブラーエについては何も書いてありませんでした。
1573年、彼は『De nova stella』という小さな本を出版した。この本で「新しい」星のために新星(nova)という用語を作った(現在ではこの星は超新星、supernovaに分類され、地球から7,500光年の位置にあることがわかっている)この発見は職業として彼が天文学を選択する上で決定的なものであった。ティコはこの現象の天文学的意味合いを退けてしまう人々に極めて批判的であり、『De stella nova』の序文に「おお、満ち満ちた知恵よ、おお、盲目の空の監視者たちよ」と書いている。この発見の出版によって彼の名は全ヨーロッパの科学者たちの間で良く知られるようになった。