アキテーヌ公ギヨーム10世(3)
文字数 827文字
外交においてギヨーム10世は、1130年2月にローマで教皇ホノリウス2世が死去し、次期教皇の座を巡り枢機卿の間でインノケンティウス2世とアナクレトゥス2世の両派に分裂して抗争が起きた際、5年間は教皇インノケンティウス2世を支持する司教達に反発しアングレーム司教ジェラール2世と対立教皇アナクレトゥス2世を支援していた。しかし、クレルヴォーのベルナルドゥスと謁見した際にインノケンティウス2世を正当な教皇として認めるよう説得されたことにより考えを改め、インノケンティウス2世の支持者となった。ギヨームは最初、ベルナルドゥスの訪問を受け、反教皇アナクレトス2世に汚されたことを聞くと、彼がミサを読んだ祭壇を打ち砕き、地面に投げ捨てるよう臣下に命じたため、ベルナルドゥスは身の危険を感じて逃走した。
翌朝ギヨームとベルナルドゥスは教会に集まり、ミサが執り行われた。正門にいたギヨームにベルナルドゥスが近寄り、その言葉の猛攻によりギヨームは足元に前のめりになり、話によると唇から泡を吹きながら、うめき声をあげて倒れたとされる。ベルナルドゥスの命により、ギヨームはポワティエ司教の再任を許し、和睦したとされる。