クレシーの戦い(3)
文字数 1,074文字
劣勢となったフランス軍だったが、怯むことなく重騎兵部隊による突撃戦術を敢行する。退却しようとしていたクロスボウ部隊は後方から迫った味方の騎士に薙ぎ払われ、踏み潰された。自然の傾斜と人口の障害、そして雨による不安定な地盤によって重騎兵部隊の進行は妨げられ、その突撃の威力は減少した。ある者はロングボウに貫かれ、ある者は落馬して圧死し、それでもなおフランス軍は幾度となく突撃を繰り返し、正面の歩兵部隊に猛攻を仕掛けるが、イングランド軍の陣形を崩すことができず、両側面から矢を射掛けられて負傷者が続出した。夕暮れになってついにフィリップ6世は自軍の退却を命じ、クレシーの戦いは終結した。
この戦いによる被害は甚大で、フランス軍の死傷者は1万から3万までの説がある。最も適当な数は1万2千人と言われ、その1割は騎士で、11人のプリンスが含まれており、フィリップ6世自身も負傷した。一方イングランド軍の死者は150ー250人と少ないが、この数には信憑性が低く、過小評価されたものであるとされている。死者の中には以下の重要な貴族も含まれている。
・フィリップ6世の弟、アランソン伯シャルル2世。
・神聖ローマ皇帝カール4世の実父、ボヘミア王およびルクセンブルク伯ヨハン。
・フランドル伯ルイ1世。
・ロレーヌ公ルドルフ。
このような時、身代金が取れないだろうという理由で軽傷であっても殺された者も多数いたと思います。本当に痛ましいです。負傷して苦しんでいる者が適切な治療を受けることもなく命の選別をされるのです。地獄のような光景です。