ティコ・ブラーエ(1)

文字数 1,253文字

フレゼリク2世の支援を受けたデンマークの天文学者ティコ・ブラーエについてです。作品集は下の画像から入ってください。
ティコ・ブラーエ(1546年ー1601年)はデンマークの貴族、天文学者・占星術師・錬金術師・作家。当時としては極めて正確かつ包括的な天体観測を実施したことで知られている。
同じ1人の人間が天文学者・占星術師・錬金術師であるのですね。
彼はデンマーク領のスコーネで生まれた。生前から天文学者・占星術師・錬金術師として著名であり、「初めて、正確な経験的事実を切なる情熱を持って追い求めるという、現代天文学にかなう精神を持った人」と評される。彼の調査は当時最良の観測よりも5倍ほど正確であった。
コペルニクス(1473年ー1543年)が『天球の回転について』を著して地動説を唱えたのは1543年になりますので、ティコ・ブラーエはそれよりも後に生まれています。
ティコはデンマーク有数の有力貴族家系の出であり、総合的な教育を受け、天文学と正確な観測器具の製作に関心を持った。天文学者として、コペルニクス体系に見出した幾何学的有用性を、プトレマイオス体系の哲学的有用性と共に、彼自身の宇宙モデルであるティコ体系に組み合わせることに取り組んだ。
プトレマイオス体系は天動説でプトレマイオス(紀元2世紀)の天文学やアリストテレス(紀元前4世紀)の自然学と結びついていました。
ティコ体系は月が地球の周囲を公転し、惑星が太陽の周囲を公転していることを正しく描いていたが、宇宙の中心に地球を置き太陽が地球の周囲を公転するというものであった。
つまりティコ・ブラーエはコペルニクスの地動説を知ってはいても、彼自身の考えは地球が中心の天動説だったのですね。
また、彼は重要な天文学者の中で望遠鏡を使用せず肉眼による天体観測を行った最後の人物である。1573年の著作『De stella nova(新星について』でティコは天球の不変というアリストテレスの信条に反論した。正確な観測によって「新星」(ティコが観測した現象は現在超新星に分類されるものだったと言われる)、特に1572年のそれ(SN1572)には月軌道より低い場所で発生する現象に予想される視差が検出されないことを示した。
正確な観測によって当時主流だったアリストテレスの説を少しずつ崩しているのですね。
新星は当時まで、大気中に存在する尾を欠いた彗星などであると考えられていたが、このティコの観測結果によってそれが大気や月よりも高い(遠い)場所の現象であることが示された。彼は同様の観測結果を用いて、彗星もまた当時考えられていたような大気中の現象ではないことを示し、それが恐らく不変の天球を通過していると見るべきことを主張した。
宗教改革によって今までの社会体制や価値観が大きく変わり、そしてそれまでの権威であったプトレマイオスやアリストテレスの天動説も少しずつ崩されようとしている、僕の生きた時代は後の時代から見れば天地がひっくり返るほどの大きな変化があった時代のようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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