ジャンヌ・ド・パンティエーヴル

文字数 1,263文字

ジャンヌ・ド・パンティエーヴルについて紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
ジャンヌ・ド・パンティエーヴル(1319年ー1384年)はブルターニュ女公。マイエンヌ、アヴォグール、レグル、シャトロドランの各領主、パンティエーヴル女伯。パンティエーヴル伯であったギー・ド・ブルターニュ(ブルターニュ公ジャン3世の同母弟)とジャンヌ・ダヴグールの唯一の子。
ジャンヌはかなり領土を持っていますね。
ジャンヌは叔父であるジャン・ド・モンフォールと争い、自らが持つ権利としてブルターニュ公の継承権を主張してブルターニュ継承戦争を引き起こした。彼女は夫でシャティヨン家出身のシャルル・ド・ブロワを駆り立てて、平和理に戦争を終わらせる妥協案である、ブルターニュ公位の共有と公国の北半分の支配権を拒絶した。決着をつけるためシャルル・ド・ブロワなオーレの戦いに出、1364年に戦死した。
夫のシャルルよりもジャンヌの方がブルターニュ公の継承権を強く主張していたのですね。
この敗戦後、彼女は第一次ゲランド条約を結んだ(ブルターニュ公位はモンフォール家が男系相続し、その見返りとしてジャンヌは生涯「ブルターニュ女公」の称号を名乗ることができるようになった)
実際の領土はなくてもブルターニュ女公の称号だけは名乗れるようになったのですか?
1379年、ジャン・ド・モンフォールの子で従弟に当たるブルターニュ公ジャン4世がイングランド亡命を余儀なくされると、ジャンヌはフランス王シャルル5世がブルターニュ併合を企み、彼女と彼女の息子の権利を侵害しようとしていることに激怒した。彼女はイングランドからジャン4世を呼び戻そうとブルトン人の最前線にたち、ジャン4世のブルターニュ上陸を出迎えた。
今度は敵の子であったジャン4世と手を結ぶのですか?
シャルル5世の死後、1381年にジャンヌは第二次ゲランド条約を結んだ。この条約でジャンヌはかなりの現金を獲得し、もしジャン4世が子孫を残さなかった場合、相続人として公位を回復する機会を得ることになった。継承問題は最終的に決着した。ジャンヌはガンガンにある小さき兄弟会の教会の内陣に埋葬された。
最終的にブルターニュ公位の継承問題は決着が着きましたが、多くの人がこの戦争で亡くなったことを考えるとやりきれないです。
1337年、シャルル・ド・ブロワと結婚し、5子をもうけた。

・ジャン1世・ド・シャティヨン(1345年ー1404年)パンティエーヴル伯

・ギー、イングランドに人質として送られ死亡

・アンリ(1400年没)

・マリー(1345年ー1404年)アンジュー公ルイ1世ダンジューと結婚

・マルグリット(1353年没)アングレーム伯シャルル・ド・ラ・セルダと結婚

ジャンヌとシャルル・ド・ブロワの結婚式は、ベルトラン・デュ・ゲクランが公に姿を現した最初である。

アンジュー公ルイ1世ダンジューの子と私の娘ビオランテ(ヨランド・ダラゴン)が結婚しています。私の死んだ後ですが・・・
次回からはシャルル・ド・ブロワについて紹介します。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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