ヤン・ジシュカの生涯(1)
文字数 1,240文字
これはグルんヴァルトの戦いでポーランド王国とともに戦うヤン・ジシュカの絵です。わかりにくいのですが、中央右下、同鎧をつけ右肩に振りかぶった刀を敵ドイツ騎士団兵士に向けていままさに振り下ろそうとしているようです。
ヤン・マティコ画『グルンヴァルトの戦い』
ヤン・ジシュカ(1374年ー1424年)はボヘミアで1419年から起ったフス戦争の中心人物。旧チェコスロバキアで流通した1958年ー1972年発行の25コルナ、1971年ー1988年発行の25コルナ紙幣でそれぞれ肖像が使用されていた。
隻眼であったため、隻眼のジシュカと称された(晩年には全盲となった)はじめは没落したボヘミアの小貴族であったが、知勇兼備の人物であったため、傭兵となって次第に頭角を現す。1410年のグルンヴァルトの戦いにも多くのボヘミア義勇隊に参加してポーランド王国に味方して戦った。
1415年、フスが異端の罪で火刑にされると、ローマ教皇や時の神聖ローマ皇帝ジギスムントに対して反感を強めたフスの信奉者(フス派)を率いてカトリック派を攻撃(1419年のプラハ窓外投擲事件にも関わっていたとも言われる)
プラハ窓外投擲事件というのは、フス派の中心となっていた新市街の参事会を解散し、ローマ教会信徒だけの新たな参事会を組織した際、これに憤ったフス派勢力は7月30日、プラハ市庁舎を襲撃し、市参事会員7名は窓から投げ落とされ、武装した市民によって一人残らず惨殺された事件です。