ヤン・ジシュカの生涯(1)

文字数 1,240文字

フスの処刑後、ボヘミアではフス戦争が起こるのですが、中心となったヤン・ジシュカについて調べてみました。作品集には下の画像から入ってください。
フス戦争を題材にした漫画があるようで、画像がたくさんあって肖像画を探すのに苦労しました。また戦争場面の大きな絵もあります。
これはグルんヴァルトの戦いでポーランド王国とともに戦うヤン・ジシュカの絵です。わかりにくいのですが、中央右下、同鎧をつけ右肩に振りかぶった刀を敵ドイツ騎士団兵士に向けていままさに振り下ろそうとしているようです。

ヤン・マティコ画『グルンヴァルトの戦い』

ヤン・ジシュカ(1374年ー1424年)はボヘミアで1419年から起ったフス戦争の中心人物。旧チェコスロバキアで流通した1958年ー1972年発行の25コルナ、1971年ー1988年発行の25コルナ紙幣でそれぞれ肖像が使用されていた。
説明ではフス戦争の英雄と書いてあったのですが、私は英雄という言葉は使いたくないので、中心人物と書きました。
隻眼であったため、隻眼のジシュカと称された(晩年には全盲となった)はじめは没落したボヘミアの小貴族であったが、知勇兼備の人物であったため、傭兵となって次第に頭角を現す。1410年のグルンヴァルトの戦いにも多くのボヘミア義勇隊に参加してポーランド王国に味方して戦った。
グルンヴァルトの戦いはポーランド王国軍とリトアニア大公国軍の連合軍がドイツ騎士団を破った戦いで、騎士団は幹部のほとんどが戦死するか捕虜となる大敗北を喫したそうです。
そんなに大きな戦いにも参加していたということは、戦争に慣れた人物だったわけか。
その後、ボヘミア王ヴァーツラフ4世の軍事顧問となるが、この頃ボヘミアの首都プラハでは教会の腐敗を批判する宗教改革者ヤン・フスが活動しており、ジシュカはその思想に心酔していったと考えられる。
フス戦争というとフスに心酔した民衆の戦いというイメージだったのですが、中心になったジシュカは大きな戦争も体験し、ボヘミア王ヴェンツェルの軍事顧問もした現役の軍人だったのですね。
確かに軍事顧問としてヤン・ジシュカという者を召し抱えていた。
1415年、フスが異端の罪で火刑にされると、ローマ教皇や時の神聖ローマ皇帝ジギスムントに対して反感を強めたフスの信奉者(フス派)を率いてカトリック派を攻撃(1419年のプラハ窓外投擲事件にも関わっていたとも言われる)
プラハ窓外投擲事件というのは、フス派の中心となっていた新市街の参事会を解散し、ローマ教会信徒だけの新たな参事会を組織した際、これに憤ったフス派勢力は7月30日、プラハ市庁舎を襲撃し、市参事会員7名は窓から投げ落とされ、武装した市民によって一人残らず惨殺された事件です。
余はこの事件の知らせを聞いてショックで卒中を起こし、その半月後に死んでいる。
窓外投擲事件は酷いですね。フスがこのようなことを望んでいたとは思えません。フス派はこの時からフスの名前を使った暴徒になっているようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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