フィリップ5世

文字数 1,276文字

フィリップ4世の次男でルイ10世の弟であるフィリップ5世について紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
フランス国立図書館にあるフィリップ5世の肖像画です。
フィリップ4世と同じような立派な肖像画が残っているのですね。でもフィリップ4世に比べてフィリップ5世は印象が薄いです。
フィリップ5世(1292/3ー1322年)はフランス・カペー朝の第14代国王(在位1316年ー1322年)。ナバラ王も兼ねた(フェリペ2世、在位同じ)。フィリップ4世とナバラ女王フアナ(ジャンヌ)1世の次男で、ルイ10世の弟、シャルル4世の兄。長躯王(le long)と呼ばれた。
長躯王と呼ばれたということは、かなり背が高かったのですね。
1316年、兄王ルイ10世が崩御し、その後を出生と同時に継いだルイ10世の子ジャン1世も生後4日で早世したため、カペー家の直系男子は断絶した。このため一部ではルイ10世の娘ジャンヌを次期国王として望む声があったが、問題があった。ジャンヌはカペー家の血統ではないと疑問視されていたのである。というのは、ジャンヌの母マルグリット、フィリップ自身の妻ジャンヌ、王弟シャルル(のちのシャルル4世)の妻ブランシュの3人が一大スキャンダルである不倫騒動を起こした(1314年のことで、これにショックを受けた当時の国王フィリップ4世は同年のうちに崩御している)張本人だったからである。そのためフィリップは、ジャンヌには王家の血筋を継いでない可能性があるから王位にはふさわしくない、またサリカ法に基づいて女子の王位相続は禁止されているとして、ジャンヌを王位から遠ざけ、自身が国王として即位することとなった。
フィリップ自身の妻ジャンヌも不倫騒動を起こした1人ですよね。それでもそのスキャンダルを利用してジャンヌを退け、自分が王になったのですか?
フランス王家にはいろいろなことがあるのですね。アラゴン王の私には信じられないことばかりです。
王位を継承した直後の2月に三身分会議を招集したのを初めとして、その治世中、度々三部会または代表集会を開いて戦争のための資金調達を図った。
三身分会議は戦争の資金調達に有効な手段だったのでしょうか?
そういうことがわかっていれば、私ももう少し頻繁に会議を開いて、アラゴンの財政を傾けないようにしました。
1322年にフィリップ5世は成長した男児なく崩御し、後を弟のシャルル4世が継ぐこととなった。
王になって6年であっけなく死んでいるのか。
1307年に結婚した妃ジャンヌ・ド・ブルゴーニュとの間に2男5女が生まれたが、男子はいずれも夭逝した。

・ジャンヌ(1308年ー1349年)ブルゴーニュ女伯。ブルゴーニュ公ウード4世と結婚。

・マルグリット(1310年ー1382年)ブルゴーニュ女伯。フランドル伯ルイ1世と結婚。

・イザベル(1312年ー1348年)ヴィエノワ領主ギグ8世と結婚。

・ブランシュ(1313年ー1358年)未婚

・フィリップ(1313年ー1317年)夭逝

・ルイ(1316年ー1317年)夭逝

・女子(1322年)夭逝

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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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