ウィリアム2世(7)
文字数 713文字
1096年、ウィリアム王の兄のロベール短袴公が第1回十字軍に参加した。多額の遠征費用を必要としたロベール公は、ノルマンディー公国を担保にした上でウィリアム王から10,000マルクもの資金を借りた。この10,000マルクとは、イングランド王国の3か月分の歳入とほぼ同額であったといい、ウィリアム王は新たに重税を課してこれらの資金を徴収したという。そしてウィリアム王は、ノルマンディーを留守にしたロベール公の摂政という形で公国を統治した。ロベールは1100年9月にノルマンディーに帰国したが、同年8月にはウィリアム王は亡くなっていた。
十字軍に参加した王侯貴族は領土が手に入ることを期待して多額の資金を使ったり借金をしたりしています。負けて手ぶらで帰るわけにはいかないという状況の中、多くの人を殺してもそれが異教徒ならかまわないと考え、残酷極まりない行為をしたように思います。
ノルマンディー公国の摂政として公国を統治していたウィリアム王は、1097年から1099年にかけてフランスに遠征を行った。彼はメーヌ地方北部の征服には成功したものの、フランク人が統治するヴェクサン地方の征服には失敗した。当時の歴史家マームズベリのウィリアムによると、ウィリアム王は死ぬ直前、アキテーヌ公国への遠征を計画していたとされる。