アジャンクールの戦い(1)

文字数 1,384文字

アジャンクールの戦いについて話題にします。作品集は下の画像から入ってください。
アジャンクールの戦いは、百年戦争中の1415年10月25日、フランスのアジャンクールで行われた戦い。アザンクールの戦いとも、アジャンクールの英語読みからアジンコートの戦いとも呼ばれる。ヘンリー5世の率いるイングランド軍(7千名)が長弓隊を駆使して、数に勝るフランス諸侯軍(2万名)の重装騎兵を破った戦いとして有名である。
リチャード2世はフランスと休戦協定を結んでいましたよね。
リチャード2世は百年戦争に乗り気でなく、フランスと交渉を重ね、1396年3月11日にパリで1398年から1426年までの28年間の休戦協定を発表し、11月にシャルル6世の娘イザベラ・オブ・ヴァロワとリチャード2世の結婚が実現します。けれどもリチャード2世はボリングブルック(後のヘンリー4世)の軍に捕らえられて幽閉され、9月28日の議会で廃位が決まり、1400年の2月14日に亡くなっています。
イングランド王ヘンリー5世はフランスの王位を得るため、1415年8月にノルマンディーへ侵攻した。約1万の兵を率いた王は、まずセーヌ川河口にあるアルフルールで攻城戦にかかった。攻城戦は2ヶ月を要し、軍勢は疫病によって消耗したため、ヘンリー5世はイングランド領だったカレーへ帰還することを決めたが、この行軍でさらに兵力が減少した。
イングランド軍も最初から優勢だったわけではないみたいですね。
10月に入り、戦争に適した季節は過ぎて天候は悪化していた。1週間分の食糧はあったが、途上のソンム川は堅固に防衛されていて渡ることができなかった。ヘンリー5世は軍勢を率いて、内陸のペロンヌ近くの防御されていない地点を渡ることにした。軍勢はそれからカレーへ進んだが、50km南のアジャンクールでフランス軍の大軍が待ち構えていた。
この状況だとフランス軍が勝ちそうな気がしますが・・・
アジャンクールは2つの森にはさまれ、アジャンクール村とトラムクール村との間にある900mほどの場所だった。また10月の嵐によって耕作地が泥濘と化していた。イングランド軍の軍勢は度重なる行軍で7千人にまで減少し、フランス軍は少なくともその3倍もの軍勢をそろえていた。
フランス軍の最重要課題は、下馬騎士とロングボウを持った弓兵の連携というイングランド軍の基本戦術を、いかに打ち破るかであった。1346年にクレシーの戦いで大敗して以来、彼らはその方法を模索していた。1356年のポワティエの戦いでは、フランス軍の騎士も馬から降りて戦ったものの、隊形が混乱して動けなくなり、国王ジャン2世が捕らえられる結果に終わっている。
クレシーの戦いからアジャンクールの戦いまでは59年が過ぎていますね。
アジャンクールの戦いでは、フランス軍は中央に下馬した騎士と歩兵による大部隊を、左右に重装甲の騎兵部隊を配置した。フランス軍総司令官のドルー伯シャルル1世とフランス元帥ジャン2世・ル・マングル(通称ブーシコー)が立案した作戦は、中央の大部隊で正面からイングランド軍を攻撃する間に、重装騎兵が敵背後に回り込んで弓兵を駆逐するというものだった。ロングボウによる射撃を無効化するために、重装騎兵は馬にも馬鎧を着せていた。
フランス軍にも立派な司令官がいて、作戦はうまくいきそうだが・・・
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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