エドワード懺悔王(1)

文字数 882文字

ウィリアム1世の前にイングランド王だったエドワード懺悔王についてです。作品集は下の画像から入って下さい。
バイユーのタペストリーに描かれたエドワード懺悔王と書いてありました。
エドワード懺悔王(1004年頃ー1066年)はウェセックス朝のイングランド王(在位1042年ー1066年)エゼルレッド無策王と2度目の妃エマの子。エドマンド2世の異母弟。
無策王なんて不真面目王フアン1世と似たようなあだ名だ。
どうせ私は不真面目王ですよ。
なぜエゼルレッド2世無策王なんていうあだ名がついたのか、すごく気になります。
聖公会、カトリック教会で聖人。次代のハロルド・ゴドウィンソンが即位後間もなく戦死したことから、イングランド王国を実質的に統治した最後のアングロ・サクソン系君主であると言える。
アングロ・サクソン系のウェセックス朝がどのような理由で途絶え、ウィリアム1世のノルマン朝に変わったのか気になります。
「懺悔王」は「Confessor」の定訳だが、これはカトリック教会で、殉教はしなかったが迫害に屈せず信仰を守った聖人への称号のひとつで、日本の同教会はこれを「証聖者」と訳している。そこから、近年では「証聖王」または「証聖者王」と表記する書籍も多い。
「懺悔王」という名前から、何か罪を犯して懺悔した王様というイメージだったのですが、そうではなくてカトリック教会の聖人の称号だったのですね。
1013年、デーン人のデンマーク・ノルウェー王スヴェン1世の侵略を逃れ、幼くして母エマの故郷ノルマンディーの宮廷に亡命する。4半世紀をそこの修道士達と過ごし、ノルマンディーの風習を取り入れる。1041年、異父弟であるハーディカヌート(デンマーク・ノルウェー・イングランド王クヌートとエマの息子。スヴェン1世の孫にあたる)に招かれて共同統治者となった。ハーディカヌートの死後の1043年4月3日、ウィンチェスター寺院でイングランドの王として戴冠された。
子供の頃からずっとイングランドの宮廷から離れてノルマンディーで修道士達と一緒に生活したというところはラミロ2世によく似ていると思いました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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