マルティン・ルター(5)
文字数 975文字
マインツ大司教であったアルブレヒトの野望により、ドイツ国内では贖宥状が大々的に売られていた。アルブレヒトの思惑通り、贖宥状は盛んに売られ、人々はテッツェルら説教師の周りに群がった。義化の問題に悩みぬいたルターにとって、贖宥状によって罪の償いが軽減されるという文句は「人間が善行によって義となる」という発想そのものであると思えた。しかし、そのときルターが何より問題であると考えたのは、贖宥状の販売で宣伝されていた「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」ということであった。煉獄の霊魂が、本来罪の許しに必要な秘跡の授与や悔い改めなしに贖宥状の購入の身によって償いが軽減されるという考え方をルターは贖宥行為の濫用であると感じた(テッツェルのものとしてまれに引用される「贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ飛び上がる」という言葉は、この煉獄の霊魂の贖宥のことを言っているのである)
この煉獄の霊魂の贖宥の可否についてはカトリック教会内でも議論が絶えず、疑問視する神学者も多かった。1517年10月31日、ルターはアルブレヒトの「指導要綱」には贖宥行為の濫用がみられるとして書簡を送った。これこそが『95ヵ条の論題』である。論題が一般庶民には読めないラテン語で書かれていたことから、ルターがこれを純粋に神学的な問題として考えていたとされる。
ルターが呼びかけた意見交換会は、結局開かれることはなかった。しかし『95ヵ条の論題』はすぐにドイツ語に訳され、国内で広く出回り始めた。そして、既存のカトリック教会の体制への不満がくすぶっていたドイツ国内の空気に、ルターの論題が火をつけることになった。