ティコ・ブラーエ(21)
文字数 901文字
1990年代の調査はティコの死因が排尿の問題ではなく、水銀中毒によるものである可能性を示唆した。これは彼が毒殺された可能性を推測された。主要な二人の容疑者のうち1人は彼の助手であったヨハネス・ケプラーで、動機はティコの研究室と薬品類を自身の管理下に置くことであるとされた。もう1人の容疑者は、友人から敵となったクリスチャン4世の命令によって毒殺を実行したとされたティコのいとこ、イーレク・ブラーエである。クリスチャン4世はティコが彼の母親と不倫関係にあったという噂のために殺害を命じたという。
2010年2月、プラハ市当局はティコの遺体を掘り返すというデンマークの科学者たちの要請を承認し、10月にチェコとデンマークのオーフス大学の科学者グループたちは遺骨・髪の毛・衣服のサンプルを調査のために回収した。彼らはイェンス・ヴェラフ博士の指揮により、ティコの髭の毛を再調査した。
2012年10月、調査チームは毒殺を実証するのに十分な量の水銀が検出されなかっただけでなく、致死量に達する他の種類の毒物も存在しなかったことを報告した。調査チームは「ティコ・ブラーエが毒殺されたと想定することは不可能」と結論付けた。
この結論は1901年のロストック大学の科学者たちによるティコ・ブラーエの髭のサンプル調査を追認した。水銀の痕跡も発見されているが、これは外部からしか発見されなかった。従って水銀中毒がティコの死因である可能性は除外された。この研究では、水銀の蓄積は恐らく「(ブラーエの)長期にわたる錬金術的活動の中で水銀を含んだ塵が蓄積したもの」から来ている可能性が示唆されている。髪の毛のサンプルには彼の死の2か月前までに、自然値の20ー100倍の水銀が含まれていた。